静けさや.

どう一日を無理なく過ごそうか、という事は、身体に訊いてみれば良い。

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近頃、助詞の置き方で間違いを連発してしまう。日本語を覚えたての外国人の如く。日本語をうまく話せないならば、一体何語なら満足に話す事が出来るのだろうか。情けない。

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世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

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今日は読書の日にする。暫く頑張った自分への甘い褒美である。Simon&Garfunkle(叔父のものと思われるカセットを、祖母宅から勝手に何本か持ち出したうちのひとつ)と The BeatlesYellow Submarine Songtrackをかけながら、→針がとぶ Goodbye Porkpie Hatを読み進める。The Beatlesホワイトアルバムが「見え隠れ」する本であるので、自ずとビートルズが聴きたくなる(ホワイトアルバムも、レコードプレイヤーも持っていないが、とにかくビートルズのCDを引っ張り出す)。
「針がとぶ」と書かれていて、CD世代(しかも、シングルCDが数年前は8cmだった事を知らないであろう世代)は何の事やら、どういう状態やら知らないのではないか、と別の著作に書かれていた。私でさえ、知っているが、実際に見たことがない。惜しいものだ。いつかプレイヤーは欲しいと思っている。

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「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」
この解釈について、日本人の間でも、二つに分かれるらしい。その論点とは、声の主である蝉は何匹か、という点である。まあ、今となっては分からない訳であるし、どんな種類の蝉なのかも分からない。当時の人は分かったのかもしれないが。
私は、複数の蝉である様に思う。蝉時雨を思う。騒々しいものが反って静かに思われる時も有り、何より蝉時雨が岩(きっと庭石か山間の河にある様な大きな岩であろう)に吸収され、そこに静かさを感じるのでは、と想像する。母や、学友数人に訊いたところ、当然蝉は一匹である、という答えが返ってきた。まあそうなのかもしれない。じいじい(或いはかなかな)と一匹が、一本の線の様に鳴いている、その声が岩に染み込んでいく、という情景も浮かぶ。(けれど、それならば、岩等なくとも、一匹なら静かに聞こえるのではないか、と反論したくなるのだが)
日本人の間での解釈は決着を着けずに放置しておいて、問題はこの句を外国語に翻訳する際浮上する。蝉は単体なのか複数なのか、はっきりさせなければ文章として正しく成立しないのが、例えば英語である。aを付けるのか、-sとするのか…きっと一晩悩んでサイコロを転がして決定するか、注をつけて判断を放棄するか、するだろう私ならば。

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深夜に聴く Michael Jacksonは、一層色っぽく聞こえる。語尾の粘り(例えば「っっっ○」「(高音で)ahh!」)等が特に、そう感じさせる。Thriller (Spec)