澄んだ月.

コク。キレ。アロマ。飲スピレーション。

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秋の連休は演奏会ラッシュで、今日もひとつ聴きに行く。明日もリサイタルがひとつあるが、敬老の日で家族と祖母とで食事をする予定があり、リサイタルには行く事が出来ない。哀しいが身体はひとつであり、いくら掛け替えのないものでも選択するか棄却するか決めねばならないのだから、仕方が無い。…しかし哀しい。

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数ヶ月前の「ダ・ヴィンチ」(雑誌)を整理ついでに捲っていた。「好き」と云わずに「好き」と伝える短歌が、歌人の一言と共に載っている。そんな横着は、果たして可能か。可能だと嬉しい。そういうニュアンスを含めて気持ちを主張する事は好きだ。が残念な事に、私が本当に伝えたいひと(達)には恐らく、きちんと「好き」と云わないと伝わらない事は自明である。まあ、自分のなかで「好き」という感情を整理する際や確認する際、有効な横着ではあるだろう。「好き」だけで表現出来ない気持ちもある事であるし。

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演奏会に行く。
一日一日、多様な事を考えて生きているつもりだが、時が経つにつれて無意識のうちに失っていたもの、或いは、考慮の対象からこぼれ、何処かに落としてきてしまったものの存在に気がついた。純粋さ、何かを願う気持ち、希望、夢、だろうか。現実世界に必死でしがみつこうとしている自分が、この失われたものをもう一度、抱きしめて生きようとする事は、もう無理かもしれないという気がしている。けれども、そういうものの存在を忘れないでいる事は出来る。せめて、記憶しておこう、失ったものについて。そうすれば、いつか取り戻せるかもしれない。
満月とその光、音楽は大きな力を持っている。私はそれらを身体を通して受け取りたいと思い、何度も正面を向いて振動が伝わってくる時を待ったが、あまりに私の中身が澱み濁っていた所為で、それらはなかに入る事が出来ず屈折し、私の外側を撫でただけですり抜けていってしまった。
今年の満月は、去年よりずっと澄んでいるように見えた。

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夢の中で抱く感情は、一体どれくらい夢の外の感情と通じているのだろうか。今朝苦しんだ夢のなかでの驚くべき感情は、気にするべきかしないべきか。

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「大好きだから臆病になる」とポルノグラフィティが唄っている。