息をするものたち.

爪が伸びていると、pcのキーを叩きにくい、と気がついた。

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眠たいから寝る、というヒトにあるまじき堕落生活の末、もうひとつ気がついた事は、日が短くなったという事だ。

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好きなジャズピアニストの上原ひろみがTVに登場、不意の事で喜びもひとしおだ。
私が彼女を知った東京ジャズの時と、笑顔の種類が違っている気がする。人に囲まれピアノを弾く仕合せ、今そこにいる事の仕合せ、を感じている笑顔のような気がした。ライヴのために音楽を、と云う言葉は、私には分からないけれども(アジカンの後藤さんも同じように云っていた)、空気の振動を同じ場所で直接感じ合える事が、ライヴの意義だろうか。

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今までの楽器に対する自分は、楽器を沈黙させてしまっていた気がする。自分の確かな感覚を求める事にだけ徹し、楽器の声や呼吸を無視して窒息させてしまっていた。表面だけの御機嫌伺いで済まして、本当に理解してやってなかったのではないか、とおもう。それ故に、「いくら訴えても聞いてくれないみたいだから、もういい。」と楽器も諦めている。その事にさえ、気づいていなかった自分がここにいる。
具体的に云えば、私のごり押し弾き方--楽器は共鳴体だという事を忘れて、力を無理矢理加えてしまっている。弾いているという実感が無いと不安--の所為で、音と響きを殺してしまっている。いくら私に音楽の才能がなく、脱力する事やその操作が大の苦手であっても、まず何も考えなさ過ぎている。
この楽器を始めてからの四年間、新品の楽器を手にした時から、「早く上手くなりたい」と力み、時には役柄で「弾かなくちゃ(しかも上手く)」と必死になり、常に「何が何でも弾きたい」と、「技術」より「気持ち」で無茶をしてきた事は、自分の楽器がよく知っている。そのお蔭で、音だけは頑張らなくとも良く出る楽器に成長した。そういうやり方だった自分と今までを責める気も、否定する気もない、また、楽器も呆れてはいるだろうが私を見捨てはしないだろう。でもやっと気づいた事を、今後は真の成長を遂げる為に、楽器と空気(音楽は空気の振動なのだ)と自分と一緒に、大切にしていこうと決めた。響かせる、という感覚を得れば、「弾いている実感がない不安」の解消と脱力も出来るようになるかもしれない。楽器の御機嫌を伺う、という事はそういう事なのだろうか。


すべては「楽器は生きもの」という上原ひろみさんのひとことで、変わった。いつか彼女のライヴに行きたい。
ちなみに、3rdアルバム「スパイラル」は、10/16発売です。

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いくら眠っても、眠い。

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私は自信が無く焦り、何も考えていなくとも暗い顔をしている気がする。笑顔が良い、に決まっている、と云いたくなる。笑えるようになれば、「まあ良いか」という言葉が私の辞書に組み込まれるような気がする。