寝転がっていてはpcを操れない.

準備も参加も大変な労力を要する授業を、何とかやり過ごす。必要ではない訳ではない、むしろ必要なのだが、全身全霊が「嫌」と云っている。自分の世界とは全く異なるところへ、足を踏み入れる事を拒む、という私の性質によるのかもしれない。臆病者の私は、ろくろく異国語を話す人間の目を見つめる事すら出来ない。よくない事だと知りつつも、捕って食われはしない云われのない批判もされないと知りつつも、そんなコミュニケーションの基本すら果たせない日々が続いている。

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ひと人に何かを頼んだ時(そんな機会はあまりないけれど)、「え…嫌(困った。引き受けたくない)」という顔をされると、つい身を引いて自分で事を進めてしまう。嫌われたくない、と思うからだ。
嫌われても良い、自分の判断ならば、と思えるようになったらば、強くなった証拠だ、という事だけは分かっている。

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待たされる事は嫌いだ。いくらでも待つ事は出来る。けれども、どれだけ待ち、どれだけ心配してやきもきしたところで、待ち人の謝罪の一言を聞き入れて終わりにしなければいけない。ひとに待たされた挙句、暫くしてまた待たされた今日は、いい加減不機嫌で文句のひとつも云ってやりたくなった。

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講義の準備でろくに睡眠を摂っていない所為もあり、すべてのことに対する思考、精神が疲労している、という自覚を朝から持った。すべての思考が卑屈になる。

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本当に「もの」になる練習というのは、時間と忍耐力を要するものらしい。いい加減、辛い練習を避けている訳にはいかない。じりじりと何時間も、自分の「いただけない」音と睨めっこする必要がある。自己嫌悪と不快感で精神を消耗するだろう。

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私の場合、パワーがない時こそ動かないと、パワーは生まれてこない。それでも途中で動けなくなった時は、暫く呑気にする。