持たないものへの憧れ.

再び「あらゆるものに対する気持ち」が疲労したままである。
考える事に、恐らく無駄になるであろう思考と考え過ぎ、に、疲労している。大切なものやひとに対しても同様であるから、そろそろ休止する必要があるのかもしれない。
講義が無い、と思っていたらば、大学院の中間発表に出掛ける予定があった。来年の自分の事を考えると、焦らなければならない。研究対象は山程あるが、後一年で片付く内容に範囲を絞る事が、案外ネックなのだ、と経験的に知っている。

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食欲の秋に乗っかって過食に陥らないように、飲み物で腹を満足させる事にしている。百円少々で売られている紅茶に満足出来なくなり(珈琲豆を買う、という贅沢は近頃控えている)、その3倍はする(がスーパーマーケットで売られている程度の)紅茶に切り替える。さすがに3倍の味はする。
同じものでも、輸入食品店とスーパーで出ている値段は、百円違う。スーパーのものは、パッケージでコストカットを図っている様で、百円安い。有名紅茶ブランド品であるので、「渡来品」でも「日本版」でも中身は違わないはずだが(違ったら大問題だ)、「日本版」のパッケージの色(あまり美味しそうに見えない。落ち着きがない)と紙質(つるつる)は完全に、ブランド相応の高級感を落としている。*1
古都にある某百貨店が、「高級感が失われた」所為で経営不振、閉店予定と相成った。高級感を求めず、便利さだけで通っていた、私の様な若者にしてみれば、「高級感」等どうでも良いものだが、どうでも良くない人々にとっては、「高級感の消失」は通う気の消失を促したのかもしれない。
高級には行き着く事は無いから、高級感で満足している。慎ましいと云えば慎ましい。

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知り合いに「自分だ」と分からせないように、ハンチング帽子を深めにかぶる。誰でもない存在になる事が快感な日もある。誰でもない日はふらふらと、ひとりの時の為の散歩道を歩きに行く。すべてに対して疲れた時は、散歩するに限る。

*1:ある楽器業界で云うところの、マキシマ(経営不振に陥る前)とオプティマ(移行後)のパッケージの違いに似ている。