眩しい月.

室内で帽子をかぶったままでいる人を、好きになる事は出来ない。(道中立ち寄っただけの場所ならまだしも)

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ひとが関わるあまり気分の良くないシチュエーションの夢を立て続けに見、疲れている。幸い今日は空いた時間があった為、行き着けの喫茶店(私の隠れ家、と呼ぶことにしている)に散歩がてら向かった。この店が出す無農薬、雑味と押し付けの無い味の珈琲が、いつもより甘く感じる時は、疲れている時の様だ。深煎りのストレートでも、とろんとした甘味を感じる。
なぜか知らないが、自分の指の跡がついてしまったパンに、嫌悪感を向けてしまう。潔癖、とはまた違うのかもしれない。
パンを食べきった後、珈琲の残りを啜りながら(綴る<ツヅル>と啜る<ススル>は、字面も音も似ている。不思議だ)、最終結末を迎えていて一日気になっていたスプートニクの恋人 (講談社文庫)(『スプートニクの恋人 (講談社文庫)』)を読む。息を呑む最後の最後、結末部分では、力が入ってしまい、思わず頁をめくる時音を(ぺらり)立ててしまった。伏線や、話の後から再登場する科白が多く敷かれている作品は、再読を余儀なくされる。読み返すのはいつになるだろう、いつになろうか知れないが、必ずもう一度読みたい。それまでは、スプートニクライカ犬について勝手に想いをはせておく事にする。
寝台に横たわると、小窓から丸くなった月が見える。きれい、というより、眩しい。とても。

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心理学、精神分析に関わる人が、自分が直接関わる対人関係をいくらか複雑にしてしまうように(学生の友人談)、文学研究、分析に関わっていると(私はそれを専門としている訳では全くないが)、文字の羅列を目にすれば分析し、「世界」を複雑(整理、分析をし、簡素化するというより)化して意味を求めてしまうらしい。自分を含めた人間の内面を分析する作家や哲学者は、それが過ぎると狂うのは、同じ原理なのだろうか。