modern.
大学に楽器を弾きに出掛ける。弦を換えてやっていない所為か、籠もった音がする。現役の時は音が鈍くなったらすぐに換えていたものだが、近頃は金銭的な問題もあり、手入れが十分に出来ない。まだ若い楽器なのに、勿体無いと思いながら、適えられずにいる。
練習不足の為、折角改善した技術をほぼ失ってしまった。きっと楽器も嫌がっている、私が陥ってまともに弾けず自分に嫌気が差しているのと同様。
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心臓は必死に動いているが、安らぐ事が出来る。この安らぎが失われてしまえば、終わりなのかもしれない。出会いと始まりが様々であるように、別れと終わりも様々なのだろう。どれくらい重きを置き、良しとするか、という判断基準は、誰が何と云おうと主観で定まる。
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ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲を、数日気に入ってよく聴いている。「現代曲受容器」を持ち合わせている時とそうでない時が私にはあるらしく(現代曲受容期間、とも云うべき)、わからない(音楽そのもの、もしくは魅力が)と思う時と、何となく気に入る時がある。今はその受容期間らしい。こういう時に、ショスタコーヴィチの他の曲も聴いてみると良いのかもしれない。
チェロやコントラバスといった、低音楽器による現代曲は好きだ。迫力がある上、聴き易い(耳に良い、という意味で)。
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ハルキさん含む読書は、今日はお休みにした。