屈折気味.

自己分析の結果を黙々とノートにまとめ、ウェブ上で出来る診断を検索して片っ端から受検してまた書き留めていたらば、日が暮れた。夕飯は今冬何度目かの鰤、今夜は祖母製照り焼きだった。身が固いものや、あまり味が沁みていずにぼそぼそするものは美味しくないが、脂の乗った身に甘辛いタレが良く絡んでいる照り焼きは冬の絶品だ。母がつくる鰤料理は、照り焼きより鰤大根の方が美味しい。冬の煮大根も絶品か。

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分析をしても、「意外」という結果が出ない。書き出してまとまったくらいで、しかも400字以上で書けと云われてもそこまで量が多くない。

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先日セミナーで「素直」な人を求めています、と云われる。素直、という状態自体が分からない。偽りの自分、自分の「汚い」部分を隠して他人に接するのではなく、ありのままの自分、正直な自分をさらけ出す事、と解釈したら良いのだろうか。もしそうだとすれば、私は半分くらい「素直」になれる自信があるが(それくらいは最低必要だという自覚はある)、厳密には半分は自信がない。コミュニケーションというのはほぼ、理解し合う事が目的であるのだから、「自分の姿をこう認識してもらいたい」と無意識に提示してしまう事は避けられない。まあそんな事を云っていると誰とも話せなくなってしまうし、正直で誠実な態度で他人に向かう事をせめて心掛けるのは悪くない、と思って「素直である事」を理解する事にした。

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今あるもの…mind、したいこと、手に入れたいもの…change、必要なもの…power、よって一番手近なもの…appeal
強いて云うならばこの結果が、自分で自分を分析した結果の「意外」でありつつ「可能性」だろう。