それがどうした.

不採用通知を受け取る。ディスカッションが済んだ時は、これで駄目だら縁がなかったと思えば良い、と清々した気持ちでいたのだが、いざ受け取ると、何がうまくいってなかったのか、とやはり暫しの物思いに入ってしまった。対人能力や性格についてはすぐには改善出来ぬ為脇に追いやっておくにしても、確かに自分で書いた履歴書類の文句は、ちっとも面白くないし惹かれない。(志望動機は良いとして、特に自分の体験について)
毎日何かしら感じて書きとめているくせに、どうして「ここぞ」という時にアウトプットする事が出来ぬのか、物凄くもどかしい。
今後何度こんな事が起こるか知れないから、いちいち物思いに時間を割いている場合ではない事くらい分かっている。しかし、何度も繰り返し「どこが至らなかったのだろうか」と考えてしまうところが、私らしい。それなのに、考え抜くという行為を面倒がって、中途半端に終わらせてしまう。大抵一晩眠ってしまえば忘れる。分かっているのに、という点が、自分で自分を馬鹿馬鹿しい奴だと思うところだ。
単に、プライドと野望が高いだけで悔しいと思っているのだとしたらば、本当につまらぬ奴だと思う。悔しさの原因は、半分以上はプライドと自信だと認める。
やはり問題は、アウトプットの仕方にあるらしい。

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こんな時期にレポート何ぞ、やってられない。そう思った後に、論文執筆と修了という目標を忘れていた事に気がつく。そして、数年前同時期の憂鬱な毎日を思い出す。
悪いことばかりじゃない。「楽しい」事は自分でつくれば良い。出来る事は、沢山ある。
ありきたりのコトバにうんざりする時もあれば、ありきたりのことばに救われる時もある。物事は一面的であり、且つ多面的である。

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ない、より、ある、を考えていたい。

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図書館でまた大量の書物を借り出してきてしまった。慢性本に囲まれていたい病、か。
コオヒィと紅茶を大量に飲んだが、その分仕事が進んだかと云えば、いつも通り「否」である。あまり美味しいと思えないコオヒイ豆を、やっと使い切った。その達成感を「今日の小さな喜び」に決定しようかと思ったが、何だかそれはネガティヴ過ぎる。しかも、豆は私にとって高価であるので、就職活動の交通費で益々寒冷化している懐では、次回いつ豆を購入出来るか分からない。暫くインスタントコーヒーの日々が続く事だろう。それも、まあ良い。

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インスタントコーヒーの濃度調節に磨きがかかってきた。使用するカップの嵩で、スプーンで掬う粉の量を加減するのは、何だか毎回わくわくする。