浅はかなる.

大学生の様なプレゼンをするセミナーは、即帰りたくなる。実際は内容だけ摘み取り、最後までしっかり聴き、「ありがとうございました。」と頭を下げる。自社商品がコーヒーと共に出された(VTRを見ながら食べて下さい、と云われたが、皆が一斉に袋をがさごそ云わすものだから、ナレーションが全く聞き取れない)。中身がコーヒーなのに紅茶用カップ、という何ともつまらない点に苛立つ自分が最もつまらない。

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昨日聴いた曲目と同じものを、別の団体で聴く。高校生ながらに高い技巧を見せつけられる。開いた口が塞がらない状態を経て、何でも弾ききる完璧さに退屈ささえ感じて、肘掛に肘をつきたくなる。自分もあれだけ高校時代に何かに燃えたかった、という思いと、楽器を弾く時間が多くある幸せへの思いで、何だかとても悔しかった。
唯一私の方が勝る事といえば、歳とそれに伴う経験による情感の表現法である。例えば、「晩年に」という曲を弾くならば、私が弾く方が実感が籠もっているはずだ。「勝る」「劣る」を考えている点で浅はかだ、と云われれば、云い返せない。その通りだろうから。

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珈琲は、やや低温で淹れる為、熱が逃げない厚みのあるカップに注ぐ必要がある。逆に、紅茶は高温で淹れる為、冷め易い、薄めで口が外に開いたカップが適している。また、日本茶の場合、夏使用は外向きで薄め、冬使用は口がすぼまっていてやはり厚みのある茶碗が用いられる。