「文化系女子としたい」.

(日記は十日ぶりくらいだろうか。十日分更新していたら、朝になるのだろう、きっと。)
久々にセミナー会場までの道に迷う。知らない土地では東西南北が分からない。そして、大抵の場合時間に余裕を持って最寄り駅に行き着くが、ぎりぎりになってしまった日に限って、道が分からない。分かり易そうな建物ならば通行人か警備員に尋ねるが、同じようなビルが建ち並ぶオフィス街で尋ねたところで、誰も一棟一棟ビルの名前等いちいち覚えていまい。いい加減、地図と方位磁針を持った方が良いかもしれない(いつもはコンビニでタウンガイドを立ち読みし、方向修正を図る)。それくらい、大袈裟な程に、方向音痴なのだ。
空間認知能力が極端に欠けているらしい。方向以外に、楽器の奏法指導で、例えば「U字をそらで描く様に」とか三次元で説明された場合、途中で思考と想像が途絶える。
明らかに自分の能力の限界を感じる時、分からない事へのもどかしさで脳が悔しがっているのが分かる。思考の中の像がぱちぱちと、映りの悪いテレヴィの様に瞬く。

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セミナーとセミナーの空き時間は、喫茶店で読書か書類書きをして潰す。空きが二時間以上ある場合は、店の迷惑にならぬように、梯子する羽目になる。今日は、一軒目で昼食を摂りコーヒーを一杯と水二杯、一時間強後に会場近くに移動し、行き着けの書店で30分少々(しかし懐が寂しいので、誘惑に駆られる前に出てしまう)、また何度か行った事のあるカフェに移動しポット一つ分の紅茶を呑みながら、書類を仕上げた。すっかり水腹、カフェイン漬けになったところで向かった先は、老舗の日本茶専門店のセミナーで、会場でまた一杯番茶をいただき、さすがに自分の胃を心配するに至った。

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帰宅途中に、いつも通り書店で新刊チェックをする。
近頃、本を欠かす事が出来ない。食費を削ってでも、書籍を買っていないと気が済まない。この「中毒」とも云うべき「症状」はきっと、現実逃避なのだという自覚がある。就職活動は、現実に立ち向かっていく活動で、今まで安穏と学生生活を送っていた私は、心身ともに相当堪えている。PCを立ち上げてメールをチェックせねばならない、そんな単純作業だけでも憂鬱で、寝床に帰りたくなっている。そうやって眠りに逃げる事も、書籍に逃げる事もすべて、辛い現実からどうにかして逃れたいという気持ちの現われであろう。完全に逃げないように、逃げてばかりいないように気をつければ、多少逃げても良いか、とは思っている。そんな調子で、毎日鞄には雑誌一冊、文庫本か単行本二冊程入っている。帰宅途中増える事もしょっちゅうだが。
雑誌「ダ・ヴィンチ」の4月号を立ち読みする。「文化系女子」がテーマとして設定されている。客観的視点によると私はその「人種」である。そして私は、自分がその「人種」である事を嫌悪し(決して「人種差別」している訳ではない)、脱却を試みているところだ。なんでも彼女らは、自意識超過剰傾向を代表として、まあ何となくその他は「あんな感じ」と想像がつく辺りの思考嗜好傾向、行動パタンを保持しているらしい。その視野は広そうで狭く、唯一無二という意味でユニークでありたいと望みながらも結果として同質に甘んじ、生に拗ねていながらにして死に至らず、何と「葛藤多き人生」なのだろうか。 否いやなかなかに富んだ人生ではなかったか、と、今や冷めつつある(脱却ではない、冷めなのだった)身は語っている。
ちなみに眼鏡へのこだわりは未だ冷めない。そこで差別化、地味脱出を図ってどうするのか、と叫びたい。そして本も好きだし散歩もせずにはいられない。

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読書:『もっとマジメにやれ―ジャック・アマノン氏の世相観察 (ちくま文庫)』雑誌「広告批判」創始者の著作を、近頃古本屋に行くとチェックする。『もっと面白い広告 (ちくま文庫)』も先日安価にて発見し、斜め読みした(昔の面白い広告に絶妙なツッコミが入っていて、二度おいしい)。
著作権とは何か ―文化と創造のゆくえ (集英社新書)JASRACに応募したので、その勉強に読む。詳細は書かれていないが、全体像を掴む為の入門としては、とても分かり易い。
新約 コピーバイブル』読了す。本当に聖書扱いしたい。