硝子戸の向こう側.

雨とピアノの音で、まんまるくなって眠る。 意味とか価値とかいう話に疲れた顔を(拾う箇所は主に顔面の筋肉と涙腺、勿論脳)、膝に埋める。「別れの曲」の中盤、少し激しくなるところが好きだ。

                        • -

図書館に行く。「あっそう」先生(相槌がいつも「あっそう」)の目線と「あっそう」にけしかけられた事もあるが、自分でもそろそろ本気にならねば、というやる気はある。
日曜は家族、祖母と食事をする曜日なので早く帰宅したい。必要な書籍をそのまま借り出して、早々に図書館を出る事にしたのだが、出ようとすると出口で雨宿りをする人の群れに遭遇した。私も傘を持っていなかった為、もう暫く図書館をうろうろし、小雨になった時を見計らって足早に其処を出た。小雨が上がらねば書籍が濡れてしまうし、紙袋が濡れて破れてしまう為、看板が出ていたカフェで雨宿りする事にした。
猫舌には熱すぎるチャイ(器まで熱い)が冷めるまで、硝子の向こうに広がるそらの機嫌を窺うふりをして茫とする。または、器の中身を無意味に匙でかき混ぜる(冷ます為、という意図はあるのだが恐らく無意味だろう)。ふたりの時は、猫舌同士でしばらくじっと湯気の立つカップを見つめるのだが。…ひとりの時こそふたりを思うものらしい。ふたりの光景を思い出した。
暫し雨に降り込められる。降り込められる、という云い回しが好きだ、と云ったのは誰だっただろう。好きだった或文学青年だったかもしれない。
チャイが冷めるのを待っているうちに、雨が上がった。「雨女」が意気揚々と傘を持たずに外出すると、決まって雨になる。

                              • -

朝ご飯を食べ過ぎた為、図書館までの道を地下鉄に乗らずに何駅分か歩く事にした。ひとにメールにて送ると、最近お腹の大きな猫をよく見かける、と返信有り。冗談じゃない。

                              • -

祖母に、亡き祖父の旅行記を見せられた。幼い頃、祖母と祖父に連れられ豪華な旅を数度経験した。そのうち、文章且つ律儀に活字にまとめられた旅行記は、札幌・小樽の旅行だった。立派な旅行記的内容に加えて(就寝時間、車窓からの風景、乗った電車や飛行機まで書かれている。なんとまめな祖父!)、幼い孫の様子が記されていた。存分に可愛がってもらい我儘も聞いてもらったくせに、何一つ恩返しが出来ぬまま、感謝の言葉をかけられぬまま、他界してしまった祖父を、改めて惜しんだ。今年で十三回忌を迎える。
他人に孫を「かわいい嬢ちゃん」と讃えられて喜ぶ祖父が、微笑ましく愛しい。