夜桜見.

Kyou no dokusho『啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)』『生きていく願望 (集英社文庫)』 Toshokan ni komoritai ga kanawanai.

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他人が存在するという証明は出来ない、少なくとも私には。好きなひとでさえ、実は脳が作り出した妄想の塊か脳内化学物質の産物である可能性は大いにある。実は居ないのかもしれない。自分の躰も実は存在せず、脳のようなものか化学物質が漂っているだけなのかもしれない。どうして私は、「生きている」「生きねばならない」という意識を授かったのだろうか。
胡蝶の夢だ。

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夕方ひとと散歩をし、夜桜を見て帰途に就いた。散歩が出来る気候になって、嬉しい。今年はお花見らしいお花見が出来た。それはつまり、団子やお酒に現を抜かす事なしのお花見、という意味である。
ひとについて、ああだこうだと妄想半分にひとり思い悩む事は多々ある(特に情緒不安定時に、悩みすぎる傾向にある)が、ひとりを気楽に楽しんだりふたりで呑気にしていると、何もかもどうでも良くなる。悔しくもあり便利でもある。何だったのだろう、と良くも悪くも思うのだ。