たららぷんかぽんかぴ.

昨日気づいたプレゼン担当、果たして間に合うのか!
二日で睡眠時間は三時間(寝台で寝ると起きられなくなる為、明かりをつけたまま座椅子で寝た)、眠い。いつ電池切れを起こすか分からない(onがoffに一瞬で切り替わる時もあれば、発条式の様にぎりぎりと衰え徐除に動きが鈍くなるという時もある)。師匠の前で切れないと良いのだが、楽器を弾いていると眠くなる質(朝まで添い寝をした事もあるくらい)なので、危険かもしれない。
午前二時なのに向かいの公園が騒がしい。若者よ。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」先週N響アワーで、生誕250年のモーツァルトと共に取り上げられていた、生誕100年のショスタコーヴィチを、久々に引っ張り出してきた。この時代は、無意識への感心が高まり、追究されまた利用された時代なのではないだろうか。文学や言語学を齧ってみて、そんな気がした。ショスタコーヴィチの作品も、きちんと音楽的知識で以って解釈できるのだろうが、無意識にものを感じて味わうのにはもってこい、というかそうでもしないと音楽から締め出しを食らうのではないか、と勝手に思っている。何か沢山のものが、無意識に引っ掛かってくる。・・・第五番の第一楽章は何だか妙、池辺晋一郎氏曰く「かなり屈折している」。第四楽章では開き直って我が道を行っている様な気がする。
モーツァルトの第35番は…大胆な事するなぁ…個人的にはあまり好きぢゃない。瞬時の高低差が激しい曲より、音階に従って徐々に上がり下がりする様な「実のある」迫力を持つ曲の方が好みだからかもしれない。その方が弾き易いからという事もあ・・・

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近頃の心の癒しは、道片の花のみである。春だからか、生気を投げかけてくる。もう暫く経ち、新緑の季節になれば、草いきれで参ってしまうだろう。

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音楽的センスや音楽的才能が、長年楽器をやっている人より無いのだろう。大学時代は長時間のがむしゃらな練習でカヴァア出来ていたからこそ、何とかなっていたが、現在これっぽっちもまともに練習が出来ていない状態では、何も弾けない。センスや何かがあれば少しは対応出来るだろうが、私には無いし、練習を頑張る事で得た自信がなければ弾けない性質であるから(曲の途中で不意に止まらない様に、とどの楽器を弾いても云われるのは、自信がなく、曲の展開を読む余裕がないのだと思う)、今の状態では弾いても音楽として成り立つはずがない。
音楽の基礎的勉強と何より練習を、もっとしたい。
師匠、ごめんなさい。私はやりますよ、いつか。今日頑張った事は、貴方の前で涙を零さなかった事(と居眠りをしない事)だけでした。