quack quack.

疲労自覚症状:いかなご→いなご うなぎ→うさぎ ドラム→ドムラ*1

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昨日研究室にて、おでこは直感を呼ぶ、という話を研究仲間が話していた。否、髪(特に黒髪)ではないか、と自分では思う。妖●アンテナ然りである。

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急に寒さが戻り、なかなか堪えた。服のコーディネートのつもりで首に巻いたスカーフが、重宝したくらいだ。首の周りと足を暖めるのが、一番効果がありそうである。
春になった所為か、赤色に近い濃いピンク色のアイシャドウを(衝撃的桃色、とは違う)アイラインの如く使って、目尻(のみ)にきりっと引っ張るのが気に入っている。失敗して暈してしまうと、「何だか目のあたりが赤くなってるけど、大丈夫」と云われるので、なかなか難しい。

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川辺を散歩すると、産毛が抜けきっていない若々しく身の締まった(と書くと、途端に「肉」は連想されるので、うまい云い方ではないが)鴨達が沢山、力強く流れに立ち向かいながら泳いでいる風景が目に入った。番はまだごく少なく、同性同士で遊んでいるという感じだ。
鳥は(勿論他の動物も)、どうしてあの様に美しいかたちをしているのだろう。首の部分が特に美しいと感じる。自然が創りたもうたものは皆、美しいと思う。
猫は、尾と脚が好い。
湯豆腐の話になり、ふと、ひとは木綿漉しの湯豆腐に似ている、と思った。過不足がなく、簡単に崩れないだけの強度と弾力があり、穢れはなく、そのままか少し出汁と湯につけてやるだけで十分なひとであるから。

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自宅の近隣で、電車に飛び込んで自殺する人が近頃多い様に、新聞に書かれてある。一年前の様に、自分に明日が来る事を信じて疑わなかった人が突如、不慮の事故によって「明日」だけでなくその瞬間以降を無くしてしまう一方で、もうそんな時間なんて要らない、という人もいる。そんな不平等が人間の定めなのだ、と云われたところで、哀しみは止みそうにない。他人から、又はその人自身から見放された魂とちょん切られて捨てられた時間を、私だけは哀しく思っていたい。たとえ、誰もその人の事を嘆かなくとも。たとえ、それがきれい事や偽善として片付けられても。
高校一年生が踏み切りで自殺を図ったと聞いた。なぜそんな事を、勿体無い事だ、等という下世話で勝手な事は、私には云えない。身に覚えの一つや二つ、ある事だからでもある。ただ、その人がこの世にもういなくなってしまったという事が、ただ哀しいのだ。そして、人が死んでしまうというのに、自分には何も出来ない事が、哀しい。
またひとつ、蝋燭の火、星の光が消えた。

*1:バラライカと並ぶロシアの民族楽器。半球型で弦は金属製三本、弾いて音を出す。てててて…てろてろてろ…という音だった気がするが、記憶は全く定かでない