仔猫の目.

道を歩いていると、なー と云って子猫が寄ってきた。つい最近生まれたばかりらしく、毛がほわほわと立っていて、まだ手に収まりそうな程に小さい。お腹を空かせて寄ってきたのだろうが、生憎あげられるものを持ち合わせていない(元来母から「あげたら着いてくるのだから、猫に餌はあげちゃだめよ」と云われている。もうこの云いつけを守るかどうかは成人したので自分で決めれば良いのだが)。怯えさせない様に屈んで何も乗せぬまま手を出すと、更に寄りはせず換わりに「ちょっとだけよ(アンタも好きねぇ)」(加藤茶持ちネタ)的ポーズを取ってくれた。要はころりと地に寝そべり、足を伸ばしたり持ち上げたりしだした。早々と蚤に巣くわれているのかもしれない。 野良に出会うといつも「下らぬ情けは無用。餌歓迎。」という顔をされるが、まだ生まれ出たばかりの純な野良には情けをかけたくなる。といって、いつも何もしてあげられないので申し訳ない。我が家に、生き物を育てる大変さの懸念を払拭させる程の「可哀想だから拾う」という精神の持ち主は一人としていず、人間以外の生き物を連れて帰って許された経験は、昆虫類と魚類だけだった。 いつか独立したら捨て猫を拾いたい。
人以外の動物も人も同じで、その気をしっかり持たぬまま、安請け合いで最後まで付き合う事は出来ない。

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コーヒーに自分が一杯浮いている!(浮かんでいる泡に顔が映る)

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時期的に書類選考をかけている時間がないのか、当たり前の雰囲気で取り急ぎの面接連絡が来、途端にスケジュールが埋まっていく。それでも全く、就職は決まる気がしない。何でも気の持ちよう、というのだから、気を持たない限りは決まらない。けれども気なんてどうすれば湧いてくるのだろうか、分からない。或いは私生活と同じように、何かに対する熱意を一度抱いた後叶わなかった時の衝撃を恐れているのかもしれない。もしも後者だとしたらば、叶わなくとも立ち直れるくらい、自分は案外強かだから大丈夫、と思うべきなのだろう。来週土曜は第一志望群企業の面接…その後行く予定の演奏会に間に合うだろうか。

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気紛れに寄ったショッピングセンター内の輸入雑貨屋で、目を惹く指輪が手頃な値段で出ていたので、暫く迷った挙げ句(本来贅沢品に充てる金子は無い)購う事にする。石の付いたものは、目に付いたものを素直に選ぶ事に間違いはないと云う。「相性」というものがある為だそうだ。 身につけると心なしか片手が温かになった。

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「器」熱再来襲す。しかし負けると大変な事になるので、心を強くして売り場を去る。
Noritakeのプラスティック製ティーカップ、平茶碗、トレイに惹かれ続けているが、これらも贅沢品である。

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結局昨日までの古書市には行けずに終わった。誘惑を我慢出来た、というより我慢せざるを得なかった、と云って良い。出遭いはいつでも転がっているはず、と諦める。それに、今読書している時間が無い。

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地中海の猫 (新潮文庫)』『ニッポンの猫 (新潮文庫)』に引き続き、岩合光昭氏の猫写真集『きょうも、いいネコに出会えた (新潮文庫)』が出ている。まだ書店で眺めているだけだが、毎度癒される。尻尾が可愛い。