雨読.

信じる事は、大変な事であり、大きな力を生み出し又人を支える軸になる。確かに根拠のあるものなんて殆どないがそれでも、たとえ不確かであっても、存在を絶対だと思う事は、相当の意思の強さを要する。信じる、という強さは、人生における他の瑣末事を圧倒し、包容するだろう。
何かを信じる者は強い。

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同じく楽器弾きのひとに、我が絃八殿*1を貸し出した(彼は普段は二まわり程大きな楽器を弾くが、次の演奏会では人数の関係で二まわり小さな楽器を弾く事にしたらしい)。たまには遊んでもらっておいで、というつもりで送り出したのだが、傍にいないならいないで寂しい、というよりご機嫌よろしく元気にしているか気が気でないものだ、と後々気づく。楽器と恋人は人に貸すな、とはスペインの諺であるらしい。普段碌々面倒をみてやれないくせに、いざ姿を見かけないと途端に恋しくなるもの、という点において、二者は少し似ている。

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雨の音を聞きたく寝台に横たわり、雨の姿を見たく外を歩く。
草臥れて穴の空いた靴を引っ掛けて、近くの書店まで散歩に出た。道の片側は田植えの済んだ田んぼ、もう片側は排気ガスがもうもうと立ち上がる車道、何だかぐらぐらした。
書店では新刊チェックは欠かさないが、新刊を購う事は近頃あまりない。一読し一通りの感想を抱いた後、読み返そうと一度手に取る事は少ない。新刊はそれ以外とは違い、輝いたと思えば、足早に目の前を通過していってしまうもので、時を置かずに読み返してもあまり意義を感じない。しかしその一瞬の「輝き」を忘れる事が出来ずに、何ヶ月何年後に読み返してみると、「輝き」そのものというよりは、「輝き」に感じ入っていた自分を発見する事になるのだから、面白い。

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東京少年 (光文社文庫)東京少年 (光文社文庫)を久々に読む。文庫化したものは今日購った。少年、大人の微妙な感情表現が、この歳になってやっと少し見えた。 花好きの少年、椿、糸が絡まった様な人間関係(「解けた時の爽快さが好い」)、伏線と深読み好きの人にはおいしい作品だろう。
雨が降ると江国香織の作品が読みたくなる。文庫は大体全作持っているが、『東京タワー (新潮文庫)』『いくつもの週末 (集英社文庫)』を飛ばし読みした。書店をうろついていると、『女子の生きざま (新潮OH!文庫)』(リリー・フランキー)という本に出くわした。近々手に入れる予定で中身だけ追う。吉本(よしもと)ばななと奈良美智という魅惑のデュオによる作品集『ひな菊の人生 (幻冬舎文庫)』が文庫化しており、書店に行けば毎度眺めるが、これは単行本を買いなさい、と脳から指令が下されたので我慢す。ひな菊の人生 (幻冬舎文庫)

*1:私の楽器の名。まだ六歳なのだが、伴侶の身勝手により早々と初老の気分にさせられている、可哀想な童。口癖は「べらんめぇ」と「なにいってやがんでぃ」。弱い癖に日本酒が好き、一合程度ですぐ真っ赤になり前後不覚に陥るから恥ずかしい。朝食は卓袱台で、納豆ご飯に味噌汁でないと怒る。が、食べ物が勿体無いので卓袱台返しはしない。短気だが腰は案外重く、低血圧の所為で寝起きはすこぶる悪い。