通り雨の潔さよ.

硝子戸の中(うち) (岩波文庫)』・・・『夢十夜』と併せて読んだのは高校生の時だった様に思うので、内容は全く覚えていない。読み返す予定。

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五月中に先行研究把握とテーマ設定を済ます予定、あわよくば就職活動終了予定だったが、どれも終えられそうにない事実に愕然とす。今から頑張ろう。
阿相教授に「あっそう」とだけ云われる事が怖い…

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テレマンさんはいいなあ。*1

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仔猫が終に姿を消した。家庭の事情で引越したのだろうか。人の手にかけられたのではない事を願う(猫に居つかれた家は堪ったものぢゃない事は分かるので、その時は仕方ないとしか云い様がないが)。 縄張りはどこまでで、集いの場所やねぐらはどこなのか、知るよしもないので、追い駆けていけない。

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中学校で知り合った親友と、久々に会う。
パスタとケーキの店で、シブーストをいただく。クレーム・ド・ブリュレ同様、キャラメルが乗っているお菓子に惹かれる、否厳密にはキャラメルの見かけが好きなのかもしれない。部を引退してから、誰かと外でケーキを食べる機会が減った。喫茶店に入ってひとりでケーキをいただく事は、贅沢過ぎるし何だか淋しいので、ひとりの時はやけ食い時以外にケーキセットを注文しない。ちなみにひとといる時も、ケーキを究極に求めている時以外注文しない。甘いクリーム類は身体が受け付けないというひとの前でそれを貪る事は、何だか残酷な気がする。私も、真っ赤なイクラ丼を目の前で食べられると、あまりいい気がしない。口にしていなくとも、苦手な食感と味、数々のグロテスク的要素が浸み込んで膨らんだご飯を想像するとぞっとする。
仕事と信仰の話をした。話をした、というより話を聞いた、と云った方が適当な程、彼女は適当な(テキトウではなく、本来の意味で適当)話し役で、私は適当な聞き手だった。毎日汗水たらして働き、お金を稼ぐ点では、工場で働く外国人も大会社のキャリアも変わらない、それなら必ずしも、他の学生の様に大会社と高収入を目指して倒れる寸前まで(実際彼女の場合倒れたのだが)就職活動する事だけが道ではなく、見つけた仕事や与えられた仕事を地道にやるもの良いかな、と思う。そういう風に、彼女は語った。難なく生きていくにはきっと感受性が高すぎる彼女は、やっと内定を貰ったとしても、会社に入る前か直後で草臥れてしまうだろう、と云う。確かに、自分が定め本気で歩く道ならば、他の人と違う道でも全然構わない。心身と生活の均衡を保つ事に長年苦労を強いられてきた彼女の生き方を見ていると、成程、と思う。
それにしても、信仰に興味を持ち、実際に信仰せずとも「信仰対象を持つ」という事に対して追究しようとしている友人が、周囲に何人かいる事が不思議である。人が強くなるには、確かに「何かを無条件に信じる事」が不可欠だという事は、私にも分かる。人間、という具体的で揺らぎと限りあるものより、常なるかたち無きものの方が。信じ易いのかもしれない。
兎に角、何か信じている事、信じるもの、が自分のなかの核になるのではないか、と思う。私はというと、彼女らとは違い、限りある幾人かの人間を信じている。家族、亡くなった父方の祖父と、ひとを信じている。

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近年、スコールの様なものに夏季はしばしば襲われる。誰かが云っているように、日本は熱帯の仲間入りをしつつあるのではないか、と感じる。マラリアの心配は未だ早いだろうか。(このまま気温が上がり続ければ、心配の必要はある、と云われている)
いきなり降られると、傘を持っていない時は絶望的だが、屋内に居る時は、涼やかで気持ちが良い。何より音と潔い降りっぷりが好きなのだ。

*1:17世紀後半から18世紀中期に生きた、ドイツの作曲家。後期バロックに分類される。親しみ易くヴァリエーション豊か、柔らかで優雅な室内楽を多く編んだ。