魚の息継ぎ という喩え.

近頃趣味で本を読む時間を作っていない。どうすれば捻出出来るのか、忘れてしまった。購入した本の山ばかりが高くなっていく。
単純に、仮想の恋愛で以って感傷にどぼどぼと浸かりたいと思い、『ハチミツとクローバー 1 (クイーンズコミックス)』を二巻携えて、駅のホームの椅子に埋まった。あまりに何も考えたくなくて、本のカヴァアに「はい」、手提げ袋に「はい」、三省堂会員証作成に「はい」、会員規約は袋に入れておく事に「はい」と云う。これが気分と都合によってはすべて「要らないです」に変わるのだから、どうでも良い日々を過ごしている。

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寝台がふかふかになっても、身体の痛みが消えない。寝相に問題があるのやもしれぬ。

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この指の周りを回る燕(のついた指輪)は1970年代フランス製という大層なものである事を、購入した店のインターネット通信販売ページで知った。女の子の為のお手頃アクセサリーショップにでも置いてあったに違いない、このチープさがまた、気軽で良い。

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ドーナツ屋に行くとつい選んでしまうシナモンドーナツを齧りながら、論文を読む。羊男の所為だ。
ドーナツ:歴史1:円形のdough(生地)の真ん中にnuts(胡桃)を乗せたお菓子の真似 
歴史2:円形の真ん中がうまく揚がらないのでくり貫いた 

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moleskine手帖に、水性絵具でばばばーっと絵を描きたい。スケジュール欄は真っ白のままなのに、無地の頁はどんどん下手くそなスケッチで埋まっていく。

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※暗い話をします※
大学で、前の恋人の呼び出し票が出たままなのを見かねて、メールを送る。返信によると、最悪の鬱状態で通院中、一ヶ月程大学に来ていないとの事だ。生きているらしい報告だけでも安心する程、彼は常に「綱渡り」をしている。
彼には今会えない。自分さえ不安定な時に会ってしまっては、必ず巻き込まれて相手に何も届かぬうちに自分が破綻する。「良かったら。ここにいるから。」と差し出した手は振り払われる事、振り払われて自分が傷つく事、側にいてもきっと何も出来ない事(専門家でも何でもないのだから)、も知っている。だからと云って、放っておく事はどうしても出来ないのだ。ひとりの人、好きな人を放っておき、みすみす手首の「人工的な筋」が増えていく事を無視している訳にはどうしてもいかない。だけれども。だけれども。結局私は何もしてあげられない。好きなのに、私は貴方の事が好きです、とも云ってあげられない。さすがに気持ち悪がられてしまう。好き、とは別の言葉で文章を作り、送信、それくらいしか、出来なかった。
そうやってぐるぐると考えていると、「かち」っと音を立てて「画面」が固まり、それ以降思考は働かなくなった。一切は灰色のまま、波も打たない。顔が欠けたよろよろのアンパンマンの如くに、ひとりの人に何が出来るかという事をずっと考えている精神力が消耗し、身体を支えきれなくなる。
彼は自分の事を「悪魔」と云った。実際に未だに魂を握られたままでいるらしいから、私にとってはただの冗談でも比喩でもない。単純に「諦めきれない」のかもしれないし、本当に好きなのかもしれないが、その点未だ整理をせずに置いてある。恐らく、自分自身を見ている様で痛々しく、そして放っておけない、ただそれだけの事なのだろうが。
「悪魔」に「祈り」は天敵であろうが、浴びてもらうしかない。彼が聖なる人になるか、私が悪魔から魂を解放してもらうか、どちらかを望む。尤も、後者ならば私が変わる必要がある。

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「恋愛」という慣習、「性」という機能、属性が煩わしい。繁栄、保存なんて、要らない。
境界を飛び越えて、逢いにいきたいのに。

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夏期休暇中に、論文の第一稿は仕上げる事、だそうだ。

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疲れて何も考えられなくなったので、ふらりと引退した部にお邪魔してから帰宅す。音楽を聞いて多少なりとも気分は軽くなった。が、演奏を聴いていると、あれこれ感じる点が自分の今に跳ね返ってきて、結局重いものを背負って練習場を出る事になった。
アイコ、という名の新入生を紹介された折、いきなり不躾に「良い名前だね」と云ってしまった。からかったのだと思わせてしまっていたら、非常に申し訳ない。正直に感じたままを云ったまでだが、初対面で随分失礼なもの云いだったと直後に反省した。とても良い響きだと思う、なぜかは知れない。