果実絞り機.

内容が充実しているが判読出来ない紙切れか、内容は薄く殆ど概要しか載っていないが気分が良くなる程美しいノートか、どちらが良いかと云われると難しい。前者を美しく書き直すのが良い、として実践し、無駄に時間を費やすのが自分である。

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PCを持って、風通しの良い台所のテーブルに移動してきた。飲み物を注ぎたすのに都合が良いが、もう後二時間すれば追い出されてしまう。台所はあくまでも食事をする場所なのであるから。・・・まあしかしそのけじめが、身内と同居する意義のうちなのだが。

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与えるものを与えてもらって、こちらからは何も出来ていない現実がある。唯一の仕事は洗い物で、定期的に洗剤で手が荒れてがさつく。もし先が長くないとしたら何がしたいか、まず浮かんだのは親孝行だった。

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今日のBGM、にしかけたが途中で止めた。「バッハ:無伴奏VNソナタ1~3」何年か前に図書館から借り、PCに入れておいたものを久々に再生す。もっと多くの演奏家の演奏を聴きたい。どちらかというと、日本人でない方のものを。バッハはBGMに向かない。その構造を興味本位で追い駆けてしまうので、心が休まないからだ。尤も、追い駆けたところで捕まってはくれない。頭痛等で臥せっている時にクラヴィーアを聴いた事があるが、悪い夢を見そうになった。ぐらぐらしたり、脳が分割されそうになる。バッハの音楽は宇宙的だ。

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家族四人分、ピンクグレープフルーツを二個絞りジュースとして出した。天然ジュースは久々に飲んだ。砂糖が入っていない幸せ。酸っぱい、と感じる幸せ。(家族の為に何かする、という事が精神衛生上とても良い。なぜなら、自己嫌悪を感じなくて済むからである。しかしここで拒否されると、奈落の底を見る事になるのだが。実際に「見て」しまう人は多くいる。)ジュースにする時は、出来るだけワックスがかかっていないものを選んで買う事が重要である。そうしないと、剥がれたワックスのてかてかが浮いたものを飲む事になるので。
グレープフルーツのあの苦さと酸っぱさを欲し、眠気眼の朝、時々売店でジュースを買う事があるが、間違ってオレンジジュースを買ってしまった時の味気なさと云ったらない。同じ柑橘類だからか、眠気眼で判別出来ていない事があるらしい。あのただただ薄っぺらく、馬鹿にされたような甘さのオレンジを飲み込むと、再び眠りに落ちてしまいそうになるのだ。

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ホンマタカシ氏の新しい写真集が出たらしい。「Tokyo and my Daughter」(出版元Nieves)という。以前「きわめてよいふうけい」というドキュメンタリー映画に付随して出された写真を買いそびれてから、ずっと彼の写真集を待ちわびていた。(が、やはり2000円を超える書籍には、学生の身分では手を出しがたい。)彼の写真には、思わず手を触れたくなる程の鮮明さと真実味がある。ある種厳しくある種優しい。さあ手を伸ばしてみて下さい、と声をかけられているかの様に感じる時すらある。きっと云う通りにきちんと触った方が良いのだろう。彼の写し出すもの達には。ホンマタカシ氏のお師匠さんの写真も好きだが、より甘味がない氏の方が個人的に気に入っている。

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夕飯の鯖の塩焼きを見て、フランス語の挨拶"Ca va?" (サヴァ?)を思い出した。相当貧相な連想だが良しとする。というのも、大学でフランス語を履修したという両親共に訊きたい事があったのを思い出したのだ。お洒落で流行りのフランス語を独学で齧ってみているの、という知人が、会った際に幾つか基本的な挨拶を教えてくれた。しかし知人の"merci"という発音は、どうしても「飯(メシ)」にしか聞こえない。もし知人の発音が正しいとするならば、フランス人は口々に「飯」と云い合っている光景を浮かべると暫く笑いが止まらなくなりそうである。そこで一応履修したらしい両親に、発音してもらう事にした。父によると、パリの人(パリジャン)は、あの独得の喉なのか口の奥なのかで鳴らす音を含ませるだろう、と説いた。メ(グ)シ、と聞こえる。ドイツ語や他の言語同様、地方差があり、「飯」で通じる場所もひょっとしたらあるのかもしれないが、日本語の「シ」という発音が通用するのかは怪しいところである。結局現地に行ってみないと分からないのだろうか。英語ではwaterが「藁(ワラ)」で通じる、と云われているので、ひょっとすると本当に「飯」でも通用したりするのだろうか。
アメリカ英語は崩れていて分かりにくい、と云われるが、今まで学校で習い聞かされてきた英語はアメリカのものであるから、どうもイギリス英語は私にとってはかえって聞き取りにくいし、アメリカで通用するがイギリスでは別の単語で云うという事もあり、案外イギリス英語には馴染みがないものなのだ。イギリス英語はイギリス英語で、別の崩れ方、流れ方をしている。さらりとして品が良い、と日本ではイギリス英語が贔屓されていて、確かに品は良い気がするが、粘り気のある英語を今更矯正するにはこれがなかなか手ごわそうだ。