灰の降る街にサイレン.

文字による「叫び」実験:
もっとこうstream of consciousnessでもってごうごうどどどと文章を練り上げひねりあげねじりあげぶっとばしたい
この今深夜画面に広げているWord文書が横書きでなく縦書きで一人称「私」とか会話文で一頁とか繰り広げられてて…つまり今書いているのが小説だったら幸せなのになと思うのよね実際はうん十年前の論文の拙い訳文を打ち込んでるだけなんですああ書けない書けない書けませんと云ってみたいものよ

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会話の全くない本なんてどこが面白いのかしら。by Alice

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台所からリビングに移動し、PCを開いて作業を延々と続けている。集中出来そうな時にまとめて進める癖がついてしまった。丑三つ時だというのに、上の階からどすどすと誰かが歩き回っているような音がする。何事だろうか。わずかにギターを弾く音が聞こえた気がしたので、明日も試験である愚弟もやはり現実逃避をしているのだろうか。しかし一定間隔でどすどすと聞こえるのはばぜか。ぐるぐる回って黒魔術にでも挑戦しているのではないか、と変な疑いをかけかけた。・・・やはり怪しい。何をしているのだろうか。

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御飯を大切に戴くと気分が良い。

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「サイレント・ヒル(silent hill)」または、怨みが具現化した街で起こる復讐劇、を観に行った。復讐は、哀しいかな、一瞬の満足しか残さない。よって、復讐を扱った映画を観ても、心に残る様な実りを得る事は、大抵ない。
夜になると軋みながら酷い有様に変わっていく、朝が来れば一瞬の眠りと共に鎮まりはすれども、灰色のものがただ日々に降り積もっていくだけ、という世界の様子はまさに、魔女の魔法ではなく、鬱屈した人間の精神状態そのものを表わしているのではないか、と深読みしている。
どこか人の形を残した哀しい魔物を撃ち落としていく、というゲームのままで良かったのではないだろうか。映画として多くの人に見せるものではない。技術自慢にはなれども。
子どもがどの俳優より印象的だった。あの歳で目でものを云ったり、役を使い分けるのは凄い。才能が有りすぎて、俳優という職に自我を曲げられないといい。

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引退した部の同期の結婚式が近い。今履いている靴が丁度ぼろぼろで使い物にならなくなってきた為、これを機会に買い換える事にした。他に、ドレスの上着も探す。
よって、普段に使いまわせるもの、と考えて、ヒールの高いものは泣く泣く諦めた。極端な内股歩きの所為で、ソールが水平に減ってくれず、又かなり消耗のスピードも速い。高価なものを選んでも、すぐに履けなくなってしまうのが、毎度哀しい。
これなら、というものを選んだ。真っ白で柔らかなラウンドトゥ、ソールは1cmもない。やさしい顔をしている。が、またこの靴ばかり履いているとすぐ履き潰してしまうので、もう一足くらい購入する必要がある。スリッポン、高めのヒール、スニーカーの三種類があれば一番いいのだが。

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映画「ハチミツとクローバー」のポスターを見かけたので近づこうとして、丁度下り専用のエスカレーターの降り口に立ってしまい、「びー」と拒否された。花本せんせい…

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「ユウ.(※仮名)は、表面だけを見ている人じゃないから」とひとに云われる。人の奥を深読みするのではなくて、本能と感覚で人を見て付き合っていくひと、そう思っているので、そんなひとに「貴女はこういう質」と云われる、感じてもらえている事が意外だった。
疑り深いのだ、私は。よって、心配性である。しかし疑った末出した見解は正しいとは限らないのだが、なかなか頑固にもその見解を覆そうとしない。時々、養老氏の云う「バカの壁」とやらの存在を、強く感じる時がある。壁の外に関しては、不安で仕方がない一方で、壁を壊して向こう側を見る事に対して恐怖を抱く時すらあり、心配性に加えて頑固者兼臆病者という性質が加わるのである。
良い方向に働くと、一度微かな希望が見えた気がしたものに対しては、そのまま突き進む傾向にある。