happiness

予定通り、引退した部の同期の結婚式ニ次会に出掛ける。

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同期4人の待ち合わせ時間は遅い午後だったので、就職活動のついでに何度か足を運んだ気に入りの古書店に、時間まで籠もる事にした。三十分以上籠もるなら何か買って出るのが常識だろう、そう構えたが、こんな時に限って特に欲しい書籍が見つからず、結局もじもじと迷って一時間も籠もってしまった。
欲しいものがない、というのは、正確に云えば事実とは異なる。マグリット展の図録と洋版のマグリット画集を適価で見つけたのだが、ニ次会に持っていくには重過ぎるし、ニ次会後飲みなおすとなれば、ここでお金を落としていくのは少々危険だ(コインロッカー代も勿体無い)、そして洋版は新刊で見つかりそう、そういう葛藤があったのだった。
どうしても、マグリット*1は好きだ。理解出来ないとしても。
結局、『意味という病 (講談社文芸文庫)』を選んで店を出た。書き手と作品の関係、作中の意味の徹底的追求による弊害等が論じられている様である。新しい「マクベス論」「私小説の両義性」というのが気になった。名前は見かけるが読んだ事はない文筆家の一人。

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贈り物には結局、シルクのネグリジュとパジャマ、付録としてひらひらの白いエプロンに決めた。自分では買わないが、あれば嬉しいものが良いらしい。

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新郎と新婦は本当に幸せそうで、こちらが感動した。紆余曲折を一応一通り知っているだけに、ひとえに「良かったね」という気持ちで一杯になる。新郎は、うまく笑えず大抵苦笑の人として有名であったが、さすがにこの時ばかりは本当に良い笑顔をしていた。子煩悩になるに違いない。
見知らぬ人達と、共通の友人を囲い幸せを祈りながら食事をする時もまた、幸せだった。食事は楽しいのが一番である。ビンゴ大会で二番目にビンゴ(なぜか微妙に強いらしく、毎回なかなかの順位につく)、橙色の壁掛け時計を戴く。
膨らみつつあるおなかを触られてもらった。温水を入れた風船か大きな粒の葡萄の様な独得の手触りだが、柔らかいがしっかりと張った感触だった。あの中に生命体が潜んでいる、とはなかなか考えにくいが、いるらしい、しっかり。

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ニ次会から引き上げた後は、行き当たったイタリアンレストランに入って飲みなおす。華やかな衣装(といっても、結局暖色のワンピースを着込んでいったのは仲間内では私だけで、浮いた)の所為で、我々のテーブルに付いたウェイターに「美人集団や」と何度も云われ、場が湧いたついでにお薦めワインのオーダーを強請られた。店の種類が違う気がしたが、そこは商いの街、てきとうにあしらい満足したところで、それぞれ帰途に就く。
初めて、生牡蠣というものを食べた。中らなければ、美味しいと感じる。ただし、貝類を咀嚼する際は「中身」と構造を考えてはならない。ごく「単純な」魚の身と同様、と考えて食べるのが良い。

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帰宅で幸せと人といる幸せを断絶させたくなく、結局同期宅に入れてもらった。

*1:黒い帽子の小父さんの顔の前に梨、という絵が有名