濃密な気持ちを運ぶ夢.

妙な夢を二本立てで見たので、忘れないうちに書く。
こんな夢を見た。
ネット官能小説のオフ会という名目の大量合コンという変てこな集会に、興味本位で潜り込む。なぜかゲストは、某美形少年事務所発の歌手集団から二人、ランダムに指名された参加者が彼らに質問をし彼らが回答していく、という形式で会は進行する。どうか指名しないでくれ、と会のコンセプトにも関わらず目立たなくしているのが逆に目立ったらしく、指名され質問する事になる。勿論恋愛技術に関する質問をせねばならず、「皆さんこんにちは(律儀な私)。そうですねぇ…(フランクに喋っているつもりでも緊張している。電話のメモ帖に予め書いておいたよく分からないメモを見ながら)女の子を喜ばせようと頑張ってした、一番自分らしい事は何ですか(意味不明である。着席)」「ローン」「ローン」(回答まで意味不明になった。さすが夢だ。・・・ローンを組んでまで無理して貢いだという事かしら)と、即答有り、回答終了。
冷たい、素っ気ない。やはり美形少年は美少女にしか興味がなく、皆も可愛い子にしか構わないのだと苦笑する。造作が悪くとも、という微かな夢を抱いた私が馬鹿だった、でもその気なく潜入したのだから「お持ち帰り」されなくて良かった、と感想を抱きながら、なぜかスキップをして場を去る。「そもそも会費無料で本物のアイドルが出てくる訳ない」と夢主は変に冴えていた。
夢の中だと、価値観が率直に出る気がする。覚醒時は「必ずしもそうでない」と考えている事でも、睡眠時は「こう考えている。こう考えたい」という事が素直に現われる様だ。屈折具合も顕著に現われる。

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こんな夢も見た。
顔を覚えられる程数年に渡って通っている気に入りのカフェを眺めていると、煙草を吸う為にかマスターが扉の外に出てきた。前々から私がいる事に気づいていたのか、こちらにぐぐっとまっしぐらに近寄って来られ「こんにちは、お客さん」と言われる。
 --暫く来なかったけど、えっと貴女は今何してる人なの。--学生です、大学院生。自転車がパンクしちゃってて、歩いて来るには遠くてなかなか‥(店のある地名)に来れませんでした。--‥に来るって事はすなわち、うちの店に来るって事なんや。--はい、そうなんですよ。本屋さん、お店、古本屋さん、という感じに回るんです。またお店にうかがいますね。--それはそうと、こないだそこで火事があったの知ってる? その家は全焼してしまって、酷かったんやあ。住んでる人は皆無事で、ほらあそこにいる人達。(…と坂道の下の家を指す。大きなクリィム色の犬と老人が見える。現実のそこには坂道はない。)
実際にマスターと話をした事はない。そのカフェは静かで、客は皆その雰囲気を受け入れている。注文を取り品を運ぶマスターの奥さんの声も、とても小さい。 しかしあれ程強く無駄なく濃密に、架空の親愛を込めて「こんにちは、お客さん」と言われてしまうと、また出向かずには居られぬではないか。 こんなに強いメッセージを受けるとは、マスターには一体何があったのだろう。火事でなければ良いが。

夢には思い当たらないが何度か同じ建物のある風景を見る。いずれ「ここだったのか」と膝を打つ事になるのか。

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吊革や手すりを咄嗟に掴もうとして、先に掴んでいた男性の手にさっと触れても、妄想しない日々、ずっと。

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子どもと紙の世界に居続けると、判断力と気遣いの力が劣化していく事に気がついた。ぬるま湯に浸かってしまっていて、忘れかけている事が一杯ある。危機的状況である、という事に即座に気づいて、動き出す。

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英文を見た途端、瞼が重くなるのは、面白い現象だとは思うが、自明の事ながら相当厄介である。どうしようもない時は、香の良いござか、背後に広がっているカーペットに、数分大の字になる事にする。このまま眠りたい、という科白のうちの「このま・・・」部分が頭に表示されかかった頃合で、はっと起き上がる。
どこまで欲求部分の本能を抑えるかが、この夏の要である。悠長にしていると、学生の夏はすぐ終わるのだ、という事は、二十回目の夏休みともなれば一応学習出来ている。
よく分からないが兎に角読み通す事が重要、と云われても、分からなければ仕方ないではないか。

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一体自分は他人に、何が出来るのだろう、とまた考える。何も出来ないから何もしない、という考えで留めるとすると、ではいつになったら出来る様になるのか、という新たな疑問が湧く。いつになっても出来ない、というより、いつになってもしない。それなら、今から出来ないなりに一杯頑張れば良い、そう考えるのは自己満足だろうか、エゴだろうか。自分が頑張れば人の役に立つ、という事を安易に考えるのは自己満足に違いない。役には立たないかもしれないが、それでも役に立ちたい、何かしたい、と考える事は、自分勝手ではあるが、悪い意味での自己満足ではない・・・と云いたい。結局何をやっても自己満足にしかなりえないのなら、力を尽くすまでなのかもしれない。
自分の外である他人の事を考え、他人の事を想ってずっと何かをするのは、予想よりずっと難しい。所詮一人で生きていて、所詮一人の事しか考える事は出来ないのだから、その定めに逆らう事は簡単なはずはないのである。