困ったわたし.

夢の中では、はらはらと牡丹雪が舞っていた。
どこか、外国の街の様だったが、風景は見慣れた古都の街中であった。夢の中で、どこかの地点からぽんとワープさせられ、やっと「自分が存在している事と場所」に気がついた時はなぜか見知らぬパン屋に居て(橙色の電灯がやたらあかるい)、何も買わずに外に出ると、向かいの店の主人らしい、頬を真っ赤にした外国人と目が合った。英語で「やあ、もしかして待たせた?今開けるからどうぞ、ゆっくりしてって。」と云われたが、別に待ってはいなかったので、愛想笑いだけして大通りに出たところ、鳥の羽の様な雪に出迎えられた、という次第であった。白くきれいな雪は、汚い雪とは違い、新たな可能性を示す、と、夢辞典にある。
風景はきれいだが、気持ちは焦るばかりで、良い夢ではなかった。夢に教えられて、この数年生きている様なものだ。

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今日はどうかしている。負の感情、言動ばかり浮上する。心身の調子次第によりどうしようもない、といえど、負の心を抱き人に悪さをするこの者が自分自身である事には変わりない。天使や悪魔のせいでもない。哀しいかな。
負に支配されている時の自分もいれば、一生懸命の自分もいる。気分屋で「不思議ちゃん」(両者共、よくない意味の割合が殆どだろうけれど)の私は人一倍色々な面を持つ。けれども色々な面を持っていたとしても、人に接するその時々で人に見てもらえる面は限られている。よって、初対面か数度会うだけの関係の人に自分の様々な面を把握してもらう事は無理であるし、自分でも人のすべてを数度の機会で、というよりもきっと、一生掛けても把握する事は出来ない。
我が振りを見て、他人の振りの見方を直す。自分を認めて、他人を認める。哀しいかな。聖人君主にはなる事は出来ない。恐らく、死ぬまで。(ローマ教皇でさえも、昇天後聖人になったのだから、とも云える)

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練習の成果を見てもらう、というのがレッスンの名目である。そこで練習させてもらって、どうするのだ一体。注意された点よりも、云われなくとも分かる「駄目な点」で生き埋めになって帰る。注意された、という事は、よっぽど出来てないに違いない。
あの師匠のお人柄と感情は一体、どうなっているのだろう。踏み込んで良い関係ではないが。

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古事記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)』を上巻分まで読む。他の宗教を信仰している欧米人、特にキリスト教信者がこの書物を読むと、出だしから目が点になるだろう。面白い神話の国に育ったものだ。途中から、神の相関関係が分からなくなる。聖書の「創世記」も系統図がややこしいが、記紀よお前らもか。やはり紙に書いておくべきだった。初心者向けとあって、割愛されている話もかなりある様で、つまらない。
(「陰陽師 2 [DVD]」の終わり近く、清明による舞は、やはり笑っていいところだったのだ)
こんな能書き無用、大胆でシンプルな誕生神話を持つ国に、劣等感も恐怖も不要のはずだが、誰かが持ち込んだ臆病者の風により、戦争やら領地の奪い合いが起こったとは、情けない話である。「神の国」と云うくせにどうしてそんなに怯えるか。