瓜の盛り.

読書禁断症状が出始めたので、書店や図書館に行く気が久々に起こる。
動物園の鳥 (創元クライム・クラブ)』『仔羊の巣 (創元推理文庫)』快楽的高速読書に良さそうな、ひきこもり探偵シリーズ(火村探偵とアリスと云い、こういう一癖あるキャラクターのタッグものは流行り易い)を借りに行く(『青空の卵 (創元推理文庫)』は見当たらず)。東京創元社にはまりそうな気配がする。好みの珍妙さを帯びた題名の本が多い。中途半端な英語脳を解凍するのに良さそうだ。哲学書への長距離走を試みてしまうと、否応なしに眠りに落ちる。 
村上春樹「カンガルー通信」の、あなたの手紙を読むと性的興奮を云々、というあたりで止めてある別の読書もあるが、あれは未だ片付けたくないので放っておく。勿体無い、という類の読書もある。
この夏は何が何でも、夢野久作を読了する、と決める。ここ数年本が増え続ける一方で、ちっとも読書がはかどらない。他、きもちわるい、と就活で出遭ったスーパーカー好きな男性が評価した、川端康成もきちんと読む予定である。文章やフィクションの組み立て方を知らぬのは、書物をきちんと読み、書写等を試みてこなかった事に起因しているのだろう。
吉田篤弘氏の著作をチェックして帰る。 『空ばかり見ていた』を借り出し、『という、はなし』(本を持った動物の挿絵と、本にまつわるエスプリの利いた小話)はその場で読み、本棚に返す。
本を読む為だけに設置された空間は幸せである。本の頁に陽と影の筋が出来て数分した頃に、閉館を知らせる放送が入った。
本好きな、もしくは、生活の中に「本」という選択肢のある男の子はいいなぁ、とアルバイトらしき男性数人に一瞬視線を送る。が、後々気がついた事がある。自宅から5分を良い事に、化粧をして行かなかった事に。服装がまともだった事だけでもまだましだが。こういう時こそ、マナー違反だよなあ、と思う。

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今座っている、居間の椅子は、寝台と同様、中央部が危うい。私に関わると、ひょっとして皆こうなる運命なのかしらん。重心がおかしいのだ、きっと。

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家の周辺で、野良猫に出くわす。昨夜は門の上に乗っかっていた。撫でてあげたいのに、警戒心が強くてすぐ逃げて行ってしまう。あまりこの周辺ではいつも、野良猫は歓迎されない所為だ。

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昨日ポジション移動の練習で出来た、指の水ぶくれの「種」(皮の下で白くなって待機しているやつ)が、一晩立つと無色になって落ち着いていた。が、PCのキーに押し当てると、微かに痛む。このまま左手のうち指四本が水ぶくれになってしまったらどうしようか、と思った。練習不足は怖い。

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近所で、用水路を囲んで張られたフェンスを利用して、「瓜類」をうまく栽培しているお宅がある。糸瓜(へちま)、南瓜(かぼちゃ)、胡瓜(きゅうり)、ついでに瓢箪(ひょうたん)と、一斉にたわわに実っている。未だ若くがもうすっかり立派な格好の瓢箪の、色づく前の青さが殊に美しい。どれも似たような黄色い花が咲くのに、実は随分違う。
写真に収めたかったが、ご主人が丹念に水遣りをされていて叶わず。
しかし家庭で瓢箪を栽培して、一体何に使うのだろうか。

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瓜、には妙な気配と隠語の気配が漂っている、と感じるのは多分気のせいか、本の読みすぎだろう。決して生来無口とは云い難く、ぶるぶるごとごと、と躯を揺らしては何かもの云いたげにしている。もうしもうし。
きっと、水分が多い所為だ。