怖いもの、イデオロギーと喪失.

uopus2006-08-15

本を読みたいとも、読まねばならないとも思うが、数文字見たところで眠くなるか、だるくて放り投げてしまう日々が続く。放り投げて目をつぶっても、眠るのもだるい。電車内の時間を、無駄遣いしてしまった。論文や課題のひとつでも読めば良いのに、と「脳裏の人」が囁いてくれたが、どうも駄目だった。

                        • -

後輩と知人達が出演する、全国規模の演奏会を聴きに行く。といっても、観客席は疎らで、ホールにいる人の多くが出演者、というささやか過ぎる演奏会に相成った訳だが。狭い地区で暮らしていると、日本中の若者がどんな顔つきで暮らしているのか、という事について、それ程興味を抱いていない、という事自体を忘れる。モニターに映し出された文字で量り、それだけで「ふぅん」と思っている。
部を引退する前、そして引退後未だに楽団に所属し、音楽について日々あたまを悩ます日々が続いている。後輩達が演奏を共にした地区と、その他の地区の奏者や雰囲気には、勿論相違がある。こういう風な演奏スタイルにしたい、という方向性の原点でさえ、相違が見られる。今まで所属してきた環境の中で、その環境の中の常識で以って、スタイルや方向性は形成されるのだ、とほんの狭い環境で音楽に携わっていても感じるし、経験の異なる知人の間に居ても感じる。更に全国規模に視野を広げるなら、どれだけのギャップがあるのだろうか、怖いもの見たさで、おっかなびっくり演奏会を聴いていた。

                        • -

演奏会の為に或る都会に足を伸ばしたついでに、高級食品スーパーに寄りウィルキンソンジンジャエールの辛口を買って帰る。この辛さ、強烈な生姜味、唇に暫く残るびりびりが、一度飲むと病みつきになる。案の定、きっちりお目当てにして行って、買ってしまった。
母にも勧めてみたところ、「生姜の味がすごくておいし・・・・・・辛っ、なにこれ。びりびりするわよ。」と不評であったが、瓶に関しては好評で「あら、その瓶、いいじゃない。花でも生けたらいい、トイレに置いて。」と気に入った様子であった。トイレに、というのが私は気に入らなかったが。ちなみに前回飲んだ分の瓶は、机の上に飾ってある。良いデザイン、きれいな色の酒瓶はなかなか捨てる事が出来ないで、たまっていく。
氷も入れず薄めずにそのまま飲むのが好きなのだが、冷えてなかったので仕方なく入れる。無意味に、瓶の側面の凸凹に指をはめてみる。グラスに注ぐ時は不要だが、口をつけて飲む時にこの凹凸は便利そうだ。その為に付いているのだろうか、と考えたが、口をつけるには瓶の口が狭すぎる。
別の高級スーパーで、タンサンの瓶入りを見つけたが、諦めた。透明でくびれていて模様が入っていて赤でTANSANと書いてある瓶に、心惹かれる。

          • -

PC、楽器、気のおけない人達ごく数人にだけ接している所為で、人付き合いというものを忘れかけている。そろそろ就職活動がしたくなってきた。家族、身近な人付き合いは社会の縮図と云うが、縮図は味わい尽くしたので、実寸大の社会を見たい。

              • -

戦争の事を何も知らない若者と、戦争の事から逃げている大人を思って、新聞を読む。やはり何も知らない知ろうとしていない若者なのだ、という事を知る。
今年は靖国神社参拝を首相がきっちり終戦記念日に行った所為か(そもそもあの神社のコンセプト自体が政教分離から遠いところにあるのだから、「戦犯を参るのではなくてあくまで戦没者に祷りを」という屁理屈は無効であるし、いつ行っても批判を受けるから今日云々というのも、全くの詭弁である。)東京裁判政教分離アジア諸国への謝罪等、戦争自体のエピソードより今後について論じる番組や記事が多く、それはそれで興味深く勉強になるが(すっかり知識が使い物にならなくなっているという自覚も芽生えるいい機会ではある)、タブー視されてきた事は永遠にタブー視され、紙面や番組枠を割く事は以前よりぐっと減った事についての問題は残ったままである。戦争と戦後復興を体験した昔の人の考えを聞き、今どう考えるかを把握する事は、昔の人が生きている間しか出来ない。その事に危機感と焦燥を感じている。
「戦争は反対」と口を揃えて云うが、考える事、方向性によっては、誰しもが、今後戦争に賛成したり戦争に向かう引き金を引く可能性がある。周りの状況や思想によって、人のこころはどうしても変わってしまうものなのだ。その時代毎に設けられてきたイデオロギーは、一般大衆の思想思考を最も操作し扇情するものである。イデオロギーによって導き出された「正義」こそが、時に痛ましい戦争を、時に平和(偽善的、かもしれない)を引き起こしてきた。
人の云い分に影響を受けず、自分はこう思う、という強い意識を、どこまで頑強に保持していけるか、私は正直に云って想像するのが怖い。ここで書いている事自体、本当に心底自分で考えている事なのか、考え出すとキリが無い。
やはり、私は何かを恐れている。自分を喪失してしまう事だろうか(ここに居る限り自分であるので、この云い方はおかしいが、他に云い様が見つからない)、生きている価値がないと気づく事だろうか。

              • -

タイトルを決めた後に、「失う事を恐れては、何も出来ない」といつか云った自分を思い出した。失う事を前提に考えない事と、失う事はやっぱりどうしたって怖いと思う事を、器用に分ける事が出来たらいいのに。