「拝啓、ジャンヌ=ダルク様」.

遂にツクツクボウシが、三日前から鳴き出し、樹の多い場所では蜩の声さえ聞く。もう八月も終わる。

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「旅」と「雲」という語を好きになった。これからどんどんそらが高くなって行くのだろう。が、未だその気配はなく、今日も夕立に襲われた。

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楽団の練習に行き、大人の人達に接する。大勢の大人にものを云う事に、予想以上に緊張した。どこまで介入し、どこからが不要なのか、基準が違うのだ、という事に気づく。しかし「大人だから」と片付けて安心していても、「大人だから」が通用しない人や基準から独立して生きている人もいるはずで、引くべきか押すべきかに困る。こういう違う世界に、もし就職が決まったのなら行き成り四月から飛び込んでいかねばならない、となると、最初のうちは戸惑って当然なのかもしれない、と感じる。自分の尾を追い駆けてぐるぐる回る犬の様に、大人を前にした自分が感じられた。つまらないな大人って、と内心ちょっとだけこぼした。子どもの領分に居る私の、今のうちだけの子どもの云い分だ。
出来ない事は出来なければ仕方がないが、出来る事をしない事に強い憤りを感じる、と師匠、肝に銘じる。

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練習が終わって、一緒に帰る人待ちか、それとも、雨宿りか、屋根の下では人が動かない。一人で歩み出す。何ともない、傘も持っている。
そうやって屋根の下で何かを待っている事は、切ないからあまり好きぢゃない。待ち人が、今どこで何をしているのか、自分の足を動かして見に行きたいくらいだ。置いていかないで欲しい。私の事を忘れて消えないで欲しい。
こころはまるで雨の中で鳴く仔猫なのに、じっと立って鷹の様に周りを凝視するか、本当の事なんてどうでも良いとすたすた歩み出す成猫、本当はちっとも強くもないし大人でもない事は、誰かに云われなくともこころが知っている。
節約する為に定期券区間まで歩いた。一人黙々と歩いて、ジーンズの裾を砂と雫でぐしゃぐしゃにした。途中で目があった、びしょびしょになって自転車に乗るおじさんに笑いかけられた。他人にさえ平気で笑いかけられる人は、この日本にどれだけいるのだろう。

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例によって草臥れて、畳の上で眠りこける。冷たいところを求めて、回転しながら眠ったが、それでも暑い。焼かれる気分だった。