あてにならないお人は馬鹿よ.

あてにする人もっと馬鹿
この場合の「馬鹿」は、関西人にとっては「しゃあない」か「阿呆」の意に解釈したいところだ。馬鹿・・・はあまりに救いが無さ過ぎて哀しい。京都の「しゃあない」と京都以外の関西の「しゃあない」はどう違うのだろう。

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英語とモニターを見飽きたので、久々に読書をする。コンビニにコピーと昨日注文したCDの代金を支払いに出掛けた後、久しぶりに書店に寄る。広い店である為人も多く、自宅からほんの十分もかからない場所なのに、と云いつつしぶしぶ化粧をして出掛けた。
派手な表紙の文庫本を手に取る気がなく、ふらふらと茶色い表紙の岩波文庫コーナーに逃げるも、ぺかぺか具合にさえ耐えられず、マットな表紙の講談社文芸文庫の棚に横移動する。高価なだけあり、人気(ひとけ)がない。並んだ数々の題名も穏やかなものが多く、暫く連想と妄想を繰り広げながら眺める。裏表紙の簡易書評を読んでは戻し、時にぺらぺらやり、戻す作業を繰り返す。『懐中時計 (講談社文芸文庫)』という題名と書評の内容、丹、という作家名に惹かれて、少々割高(否随分だ)だが買う。
帰宅してすぐ、半分程読む。否応なしに受け入れねばならない死と時間の影を見た。悲しい、とは書かれていない、ただ、困った、と書かれているのみである。

「そして、みんなみんないなくなった、と云う昔読んだ詩の一行を想い出したりした。」     ・・・「タロオ」最終行

卓越した冒頭文を書く作家がいる一方で、最終行を見事に仕上げる作家を見たのは、この本が初めてかもしれない。尻の部分にインパクトを持ってくる事は、何だかアンバランスで難しい気がするのだが、「あれ」「成る程」という様なインパクトを仕掛けつつ、それを巧くコントロールして話を終わらす点が素晴しい。
人が死にすぎる作品は「困る」ので好きではないが、千円出して購入し読んで苦にはならない本で良かった。これも運であろうか。
吉田篤弘の小説に、どこか似ている。ビイル好きな点と、あれこれ妄想してしまう点、無駄な装飾がなく静かに澄んだ文を書く点だろう、と睨んでいる。「蝉の抜け殻」が一等気に入った。
非常に読み易いが、読み応えや想像力を導引させる余地は十分にある。変に消耗している時はこういう本に限る。まあ多少やはり「困った」内容過ぎるが。

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またネット書店を見つけてしまった。見つければチェックせずには要られぬ事を思い、気が重くなった(あまり多いといちいち見ていられない)。基本的に古本では、絶版、品切れ、初版、現在は出回っていない装丁の本しか欲しくない。どこかで買える本は新品で買うか、古本チェーンで買う方が早いし、世間の役にも立つ。それにやはり、出回っている本までいちいちネットで検索して購入する、或いは、出回っている本の中から稀少な本を掘り出すという作業は、甚だ面倒臭い。体力があれば、たまには楽しいが、それは実店舗でやる事だと思っている。
よって、安価なだけのネット書店は、出来れば目の前に現われて欲しくない。現われれば、本は買わずとも、店の主人の日記を覗きたくなるから、それはそれで面倒なのだ。

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どうも「小」という漢字、及び、感じが好きらしい。余白の多い割には、小ぢんまりとしていて掌に収まる位の丁度良い存在感と、可愛げがある。きゅっとしていて可愛い。よって、「小」のつく名前にも惹かれる。小川洋子小沼丹(『懐中時計』の作者)、小村寿太郎、小石川、小岩井、小早川。

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小沼丹の本名は小沼救(はじめ)と云い、父は邁(すぐれ)、母は涙子(るいこ)と云うらしい。今時こんなセンスの日本人はいないであろう事を想った。
小沼丹は学生時代「採れたての松茸」と形容されていた、と解説に書かれている。大きくても小さくても個性が完成されていて、更に新鮮、という意味らしい。が、この比喩だけみていると、形容されて嬉しい気分になるかどうか怪しい。
暫くNHKで放映されている韓国の宮廷料理ドラマ「チャングムの誓い」の主人公であるチャングムはドラマの中で、冬虫夏草の様、と形容されていた。するめ烏賊、と云われるのと同レヴェルで、嬉しくない気がするのだが、どうだろうか。
冬虫夏草とは、冬の間に虫の体内に寄生し成長する、薬効のある茸である。幼い頃これを図鑑で見た際、なんと残酷な茸がこの世に存在するものかと、恐ろしくなってその頁をさっさと閉じてしまったものだ。食べるのか、あれを。そして長じた今も、画像を検索して激しく後悔している。虫に同情した。

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時計に縛られながらにして、時計に惹かれている。

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根底にある願望、焦燥が夢に現われ、相当のダメージを受けると、一日心身ともにうまく稼動しなくなる。ダメージの直接原因らしき人に手紙を書こう、と覚醒して心に決めたものの、内容や構成を考えるとまとまりそうになく、そして自分の手紙がどれくらい通用するかという事を考えると、完全に挫けてしまった。
文房具コーナーで封筒を手に取ったが、戻してしまった。どんな便箋と封筒、ペンで、という夢だけ膨らませてきた、今まで、そして今日も。
きっと読んでくれるだろうけれど、今更なんだって云うのだ、だから。

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鼻を啜る音が似ていたり、咳の仕方で、人を思い出し振り向く時がある。