麦御飯を愛す.

この壁紙を見ながら、嗚呼そろそろ月見団子を家族にお土産に買ってこなくちゃ、と思う。
朝ごはんが用意されていない時間に、好きな朝食を作る事が小さな楽しみである。母より遅く起きると、ちゃんと洋食の朝ご飯が食卓で待っていてくれるのだが、たまには和食等違う朝ご飯も食べたくなる。
すったとろろに梅干(他の適当な野菜は見当たらず。オクラやなめこなどぬるぬるしたものがあれば嬉しいのだが)と醤油(酢を混ぜても良い。市販のポン酢より醤油の方が好み)少々を加えて、昨夜の残り麦御飯にかける。みそ汁も用意する。満たされた。
梨をひとつむいて、食卓に出しておく。剥いて芯を切り取り、ぽっとその廃棄部分を包丁を持ったまま三角コーナーに飛ばす、という芸当が決まると快感である。

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作業をし、時々寝台に帰ってうとうと、そのうち、友人との待ち合わせに出発する時間になった。一日が経つのは本当に早い。
連休の所為で、駅の周辺はカップルが多い。いつ寝るのか、と疑う位皆遅くまで出歩く。自分はと云えば、仕事を持つ社会人が集まる楽団の練習に参加しているが故に、誰かと連れ立って休祝日遊びに出掛ける事は殆ど無い。平日のお出掛けは、良くも悪くも平穏無事に終わる。極端に盛り上がりはしないし、そして盛り上がったところで「平日に何をしているのだろう」と罪悪感に駆られる事が必須であるから。
友人と友人の連れとで演奏会を聴きに行く。友人達には耳慣れない音楽が殆どだろうから、退屈な時間を押し付けたのではないか、と始終気になり、隣の二席の様子を身体で感じ取る事に必死で演奏を堪能するどころでは無かったが、最後は演奏会のテンションに支えられてふっ切れた。普段聞かない音楽でも、楽器の音自体には楽しむ事が出来るようで、知っている曲ばかりが人の心をすぐさま捉えるという訳ではないらしい。
友人の連れとは初対面で、やはり退屈させないで食事をしてもらえるだろうかと心配をしていたが、何とか会話を繋いで全身で対応した。知らない人と話すと、すでに親しくしている人達とは別の実りがある。思い及んだ事のない事柄を発見出来る時もあれば、他の人も自分と似たような事を考えたり経験しているのだと発見出来る時もある。
人も音楽も、「初対面」は初対面なりに獲得出来るものが潜んでいる。

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出掛けるだけで疲れ、帰宅後何も出来ない、という体力の低下が著しい。

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人は誰しも、女性と男性、どちらの性別をも持っているのだ、という話を聞いた。意識の上での性の区別は後付けであって、生まれた時や、人の内の核みたいなものは、性の区別を持たないのではないか、と自分では思っている。つまりは、生きていく上での便宜だと。勿論確証はない。
スピリチュアルなものを、とりあえず信じないで生きている。すべては脳の機能だという事は信じている。これは多分、前にも書いたが、信仰を持たない所為だろう。きっと今は要らないものごとや、手にしてしまうと危険なものを、思考から排除する癖が働いているのだ。
しかし、私には見えていないものは、確かにこの世には沢山ある。

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今日夕飯に友人達と食べた豚カツ屋で注文した、生湯葉コロッケは美味であった。生姜を利かせた生湯葉、大きめのさいの目に刻んだ椎茸、木耳等の具、(記憶は定かではないが繋ぎにじゃが芋も入っていたような)に衣をつけて揚げてある。箸で割るとほろっと崩れる程柔らかで、生湯葉と衣は意外に合っていて美味しい。紫蘇の実と柚子入りの大根おろしとポン酢で食べる。

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昼のそらばかりでなく、夜のそらも、透明度が増して電灯がより美しく映える。