ナルシスト迫害.

プロボーラーの律子ちゃんの歌を、父が口笛で吹きながら、後ろを通過していった。彼は口笛が巧い。りっつっこちゃん りっつっこちゃん、というやつ。敬老の日テレヴィで、お年寄りの間でボーリングが大流行している、というニュースがやっていて、その時に昭和のボーリング全盛期の映像と共に中山律子が映ったのだ。それから時々思い出す度、父は律子ちゃんを口笛で吹いている。
僕らの時代はボーリングは「不良」のする事だって云われてた、と父。
僕らの時代。

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引退した部の同輩、先輩、後輩5人で飲みに出掛けた。ビルと駐車場の間にある細道を抜けた先の、辺鄙な場所にある。恐らく、民家を改造した家である為、動き難かったのだ。方向音痴の者なら、本当にこんなところに店があるのか、と疑った結果、踵を返すであろう道程だった。
メニューは、若干薄暗い照明の下でお酒を飲み店によくありがちな、和風と洋風が入り混じった創作料理の類だった。誰の趣味か、魚料理ばかり食べていた。えんどう豆のコロッケ、という、薄く白っぽいコロッケの衣以外は明るい緑色の、さくさくふかふかしたやつが美味しかった。これは枝豆に飽きた時の良い肴になる。最後は皆でおにぎりを手に持って頬張った。遠足の一光景の様な仕草が、薄暗い小洒落た店という背景に全くそぐわなくて、可笑しい。
客の入り具合と酒気の入り具合、食事の進み具合で、会話を交わす人数が変わる。最初は五人全員で一つの話題を突き合っていたが、そのうち、声を張るのが面倒になったか、特定の人と通じる話がしたいのか、三人と二人に分裂した。それでも酔っ払いと学生は五月蝿い気がしたのは、隣の区画に居た一組のカップルの視線を感じたからで、何だか本当に気の毒なので少しは気を遣って爆笑を控える。
ナルシストの何処が良いのさ、と問われる。予想していた問い来る。結果的にナルシストと縁があっただけなので、何とも云い難い(それはつまり、無意識のうちにナルシストに惹かれる、という事かもしれないが、自覚は全くもってないので説明しようが無い)。自分に甘えるナルシスト以外は、他人に迷惑をかける訳でもなし、自分が格好良いと思えるのはむしろ良い効果をあげる事だって予想される。私に至っては尊敬すら出来る。
以上のような説明は面倒で、酔っ払いにはどうせ通じないであろうから、結局、かわいいから、という事にしておいた(嘘ではない)。その答えによりその問いの主は余計に勢いづき、そのナルシストに対していかに嫌悪感を抱いているか迷惑してきたか、という事をとくと説きだす。目の前にいる仲間のいいひとをけなすのはどうかと思ったものの、私情と偏見以外の少々は妥当性があり情状酌量の余地ありと見て、テーブルにのの字を書く程度で許しておいた。「そんなん云われても。」