私は暗い.

カフェインに弱い胃が一時的に出来上がってしまったので、ハーブティーに救いの手を伸ばす事にした。殆どお湯の味しかしないし、匂いも何だか好みぢゃない、と以前は倦厭していたものだが、カフェインに依存するようになってから、ふと気紛れで飲む白湯やノンカフェインティーに快い空白を見出す事が時々ある。
小さな箱の並ぶお茶のコーナーで、値段と質を暫し検討してから、ばこばこっと勢い良く三箱、買い物籠に入れた。殆ど衝動買いに近い。カモミールクランベリーラズベリー、ペパーミントの、黄色、赤色、緑色の箱が並んで収まった。
気分が落ちていると買い物に走る質なのかしらん、と近頃殊に感じる。その行為をしている時は夢中だが、後々の爽快感は殆どない。なぜなら広々としてしまった財布を覗いて、再び落ち込むからである。
果汁100%(しかし濃縮還元)に炭酸を合わせてあるジュース、タイザーのアップル味を一緒に持ち帰る。ざーざーと流し込んでしまった。

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朝から二時間だけ練習した後、師匠の御宅へ伺う。伸びたり落ちたりする技術に、自分も師匠も苛々している。また基本の基本から丁寧に教えてもらった。感覚の問題ばかりは、自分で何とか気づいていかねばならぬ。
たとえ、練習しなかろうが、腕が化石化しようが、止めずに続ける事が大切なのです、継続は力なりです、とおっしゃるので、はい、と素直に受け取る。

それから、次の門下生(師匠の秘蔵っ子、と呼ばれる方)を交えて雑談をする。結婚に関する話には加わる事が出来ない。こんな子どもが結婚を語ったところで、それは寝言に過ぎない。
就職活動の話になる。焦ってはいるが、他の事でも大いに焦っている今は、こればかり焦って精神に負担を掛ける訳にはいかず、自分なりに何とか折り合いをつけてやっている。頑張りすぎてどうなるものでもない一方で、かといって改善すべき点もあれば蒔かなければならない「種」もあるから、何とかせずにはいられない。自分のペースでやっていこうと思う。それが時々、見かねてか心配してか、知人達から本当に色々忠言を受ける。気持ちは非常に有難いのだが、毎回哀しくなって泣きそうになってしまう。理想通りに、思った通りに事が進み、又自分でも理想の通り出来れば良いのに。
師匠から、兄弟弟子で引退した部の同輩にあたる人が、私の就職について心配している旨を知らされる。どうも、私の性格が云々、という話を師匠としているらしい。他人が勝手に云う事だから、咎めるつもりは全くない上に、興味すらない。が今日に限って、コンプレックスに近い事を云い当てられ、参った。
同輩曰く、真面目そうで、暗そうで、お堅そうなところが、面接でマイナスに働いているのではないか、と。
云いたい事は凄くよく分かる。コミュニケーションが取り易く、仕事がし易い人というのは一般に、明るく元気で(「明るく、元気な方、募集!」)、柔軟性がある人で、真面目で湿っていて堅くて融通の利かない人は今や、途端に窓際行きか廃棄処分にされる。よって、円滑な生活を送るべく、日々に光を見出しながら頑張りはする。
しかし、生来、というより、運命的に、真面目で暗くて堅いのではないか、としばしば思う。演じてなんぼ、と云われるが、演技はそう長くは続かない事位知っている。建前で凝り固まった生活なんてしたくない、と本気で思っている辺り、きっと堅いのだ。演技だって自分のうち、演技は演技をする自分を曝すだけの事、どうしても演技に意義を感じる事が出来ない。
真面目で暗くてお堅いのは、正に自分、もしそれがマイナスならば、会社で働く事は出来ない、という事になる。それでも何とか懸命に接する人の事を考えて、マイナスをプラスに変換し、一番良い方法でコミュニケーションを取るべく頑張る事で、一般的マイナス要素を払拭する位容易い。そういう頑張りを認めてくれる社会なら、会社なら、生きていけるかもしれない。
真面目で暗くてお堅いのは駄目です、と云われた事で、その後乗った電車の中で、帰宅して即行転がり込んだ寝台の上で、泣き続けた。けれども、駄目と云われても生きていかねばならない。
要は、もう少しうまくやっていかなくちゃ、という事なのだ。演技、ではなくて。

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映画「アダムス・ファミリー」の登場人物のウェンズデーが、自己紹介か作文か何かを読み上げて、「私は暗い。」と云ったのを思い出した。「云われなくても分かるわよ。」と亜麻色の髪に林檎のほっぺの乙女達。

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ビーグル犬のいる家の前を通ると、犬がフェンスの隙間から鼻だけを出してお出迎えしてくれる。健気に尻尾も振っている。フェンスが頑丈な為撫でたり遊んだりは出来ないが、手を差し出すと不思議そうにじっと見つめている。匂いを嗅いだりはあまりしない。