余白、隙間など.

遅い朝食後、昨日ブックマークを付けておいた施設へと電話をかける。個人宅へかけたようなふにゃふにゃの対応をする文化施設もあれば、営業的にてきぱきと対応する施設もあり、なかなか面白みのある作業であった。結局どの施設からも良い返事がなかったので、暫くネット上で他の施設を開拓する。一件のみクリーンヒット、場所取りトップに連絡後作業終了、出掛けるとする。
郵便局に、ネット通販の代金を支払いに寄る。郵政公社化してからというもの、局に足を踏み入れた途端、一斉に、いらっしゃいませ、と声がかかる。未だ慣れない為に、毎回びくついてしまう。

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クラシックは終わってしまったのだ、と云ってみた。その名故にクラッシック、今無理矢理編み出される歌謡曲の様なものは、クラシックもどきでしかないか、或いは形容詞の付かない器楽曲である。悪いとは云わない、確かに音楽であるものは多い。けれども、もはやクラシックではない、それだけの事だ。昔の形式で以って十分に何かを表現出来る人はもういなくなったし、多様な音楽が世に在る中で、全員が全員クラシックに感動する訳ではなくなった。今の人にとってはクラシックは音楽における必然ではないし、必然である必要もない。クラシックという名のヨーロッパ的形式美は、このまま終わってくれて良い。美しいまま眠りに就け。
そういう事を、気取りながら入ってみた初めての喫茶店で、ひとと語った。子どもでしかない身なりと云っている事の青さに反する、良い庭とテラスの風情の中で恥ずかしくて縮こまりながら、必死だった。
禁煙の為の硝子張りの喫茶テラスと喫茶室の間の細い通路に、五つ程鳥籠が吊ってあった。桃色の大人しい鳥が一羽、桜インコが二羽、名の知らない頭の少々禿げた青いインコが一羽、眠っているオカメインコが一羽、大して良い声でもないのに飼われていた。
何も入れずとも、甘い、と感じるコーヒーが存在する事は知っている。ひとが注文したコーヒーは、甘くてブランデーを入れたかの様な風味を帯びていた。舌触りがまろく、纏わりついてくる程の深みがあったが、少々しつこ過ぎるし上等過ぎる。グラニュー糖で一面真っ白に輝くフレンチトーストは、油の味がしてもちもちしていて、こちらもしつこいが空腹には丁度良く収まった。噛む度砂糖がじゃりじゃり云うのが滑稽だ。
誰かが犬を連れている、とひとが云うから見回してみると、犬ではなくて子どもだった。私には最初から、どうしても子どもの声にしか聞こえなかったが。
武満徹の「鳥は星型の庭に降りる」は良いね。良い曲って、どんな曲だろうね。

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恋に落ちた。
秋風の心地良い時間に。書店、本棚の後ろに流れる「花のワルツ」と「フィンランディア」の隙間で。恋に落ちてしまった。時が止まって、何も考える事が出来なくなって、茫と頁を見つめていた。「フィンランディア」は嫌いではないけれど、盛り上がりとか平和への祈りが、この時ばかりはどうでも良かった。葉が枯れ落ちた樹の影の映る窓辺、主は丁度十年前に旅立ってしまっていた。
武満徹―Visions in Time』没後十年を記念して開催された、武満徹所縁の品々を収集した展覧会のカタログらしい。(彼のエッセイの、都合の良い抜粋に過ぎない事を忘れてはならないが、本当の意味で理解のある方による抜粋である事を祈る。)
言葉に、感性に、音楽に、恋をした。再び。
沈黙があり音がある。
とても、好きだ。

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猫は狭いところが好き、と決まっている。

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ひとは、「これから」の方向に伸びていくものを創りたい、と云う。行き着く先が見えている、限界が見えているものには携わる甲斐がない、と。
私は、今ある良いもの、或いはいずれ忘れられ消えてしまうものを守る為に力を尽くしたい、と考えている。
先へ行くもの、今や先にある幸せは、ほんの少しで足りる。現に、今も、ほんの少しの幸せを、すでに手にして生きている。それとは逆に、前にあったものは、失われていく一方で、必ずいつかは消えてなくなってしまう。忘れたくないのだ。
それでも変わらないものはない。変わって欲しくないが、変わってしまう。いつか消えてしまう。
後ろばかり向いて生きている。こういう生き物に、今、そしてこれから、生きていく価値はあるのだろうか。何を甲斐にしてこれから生きていけば良いのだろう。
分からなくなったので、線路とそらばかり見ていた。

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鳥籠は好きよ、と口に出さなかったのはなぜか、知れない。なぜだろう。引っ掛かっている。

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今、という意識が強い。前は身体であり器、意識は今、先はほんのおまけ、なぜこれからも生きていく予定なのだろう、と思わざるを得ない。とても自然に、そう思わざるを得ない。

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三日月が赤かった。
電話のカメラを向けてみたが、夜景モードでもひとつの点にしか画面に写らないので、断念した。何でもかんでも撮影出来して残しておけるものではないのだ。撮影して世に残すべきもの、広めるべきものもある一方で、目に焼き付けるだけにしておくものも、この世には存在する。

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書店の文芸単行本の本棚には、今や角を削られた本ばかりが並ぶが、その中に時々「全集」「集成」という本があり、箱入りでやたら角ばっている。古本屋の店先では一冊百円まで値が落とされ、すっかり居心地悪そうにしているが、新刊書店では少しは居場所があるようで(それでもほんの少し)寛いでいる様子が見られ安心する。見かけたのは、丁度一ヶ月程前に読んだ小沼丹の、全集だった。