白いカラー.

外は雨、ショッピングセンターの軒下に座り込み、ファーストフードの袋から芋の揚げたのを取り出す少年在り。シャツの釦を上から二つ目まで派手に外している、その襟と鎖骨が妙に白い。いつもはベンチに座って行儀良くしているのかもしれないが、生憎ベンチは濡れそぼっているものね。時間は午後七時前、そんなもの食べないでお家に帰りなよ、と云いたい胸が痛い。彼は暫く帰らないのだろう。

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ドーナツチェーンでまたもや音楽云々と将来の話をする。つまらないと思う現代「出来損ない」音楽と、好きだと感じる「実験的」又は「前衛的」音楽とはどう違うのだろう。一体、何が或る作曲家を有名にさせるのだろう。分からないけどこう思う、という果ての無い話を、蜂蜜のかかった(そして油と一緒に固まった)ドーナツを一口大に千切りながらした。
甘いクリーム状のものを受け付けないひとから、クリームがたっぷり入った小さな揚げ菓子を引き取った。他にもクリームが入っているものは無いか、と怯えながら、いちいち串で菓子を突いて確認していた。甘いものが好きなくせに、クリームが駄目なんて、不幸だと思う。

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先頃注文し昨日届いた『遠い呼び声の彼方へ』『音、沈黙と測りあえるほどに』の代金を支払いに郵便局へ、すっかりATMと仲良しになった。蔵書処分の為にやっている、というとあるオンライン古書店が付ける値は他と比べて格段に安く、蔵書を譲ってもらう、という気分で利用出来、買い取った後大切にする気になる。
いい加減、本を埃の中に積んでおくのが可哀相になったので、百円均一でバスケットを買ってきて整理をした。安っぽいバスケットを倦厭してきたのだが、もうこの際どうでも良くなり、派手な色だけは避ける事にして、プラスチックのもので妥協してしまった。意外に違和感はなく部屋に収まってくれたので良しとする。

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引退した部の先輩に、「秋の夜長にクラシックギターを聴きたくなったので、お薦めCDを教えて下さい。新旧両方の。」とお願いしたらば、CD二枚にビデオ一個で以って返答が来た。どれもジョン・ウィリアムスのものだ。ビデオを半分まで観た。彼は他のどんなギター演奏家より曲に忠実、と評価されていた。師匠のセゴビアの悪いところは、彼自身の音楽を他人に押し付けるところだ、とウィリアムス。
演奏家がその音楽その曲自体になる、という事が出来るとすれば(それはきっと聴衆にとっては理想の状態)、演奏家自身が表現したい事はどこに行くのだろう、という疑問をいつも抱く。曲すなわち自分というイタコ状態に到達した時、どこに行くどこに在る、と考えずとも、そこにある、という事になるのだろうか。そんな気がしないでもない。

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ものを食べる時は手を洗う。洗わなくとも大丈夫な環境に育ち、丈夫な内臓を持ち合わせていると自負している為、子どもの頃は然程(最低限度は勿論気にしていたし、手が何となく気持ちが悪く感じる事には敏感だった)気にして手を洗った事はなかった。が、以前好きだった人に、素手で食べ物を分けてあげた時にひどく困った顔をされてから、気を遣うようになった。彼は軽い潔癖症で(吊革や手すりを素手では決して触らない)、それはそれは大変な顔をした、悪いと思ったのか食べてくれたけれども。お返しに、とくれたものも、律儀に紙ナフキンを使って千切った。抗議の代わりに。
という話を、今日ドーナツをひとに少し分けてあげた時に口にしかけたが、云うべきでないかもしれない、と思いとどまった。云う必要のない事、ひょっとすれば云ってはいけない事はある。
それにしても、手、という器官は、自覚している以上にデリケートなものだ。彼は元気にしていると良いのだが。