中てられる連休.

涼しくなったせいか、以前のたまり場所に猫達が戻ってきた。「久しぶり」「あんた誰」「何さ」色々な表情が見える。若い猫は、こちらが視線を送ると身を乗り出して見返してくるが、ご年配の猫は気配を気にせずにただ目を閉じて眠りに落ちていく。
自宅近くに出来たホームセンターにはペットショップが入っているらしく、夕食後父が唐突に、「お前(仮)は猫の方が可愛いって云うから、今日ロシアン・ブルーを見たけどさ、断然犬の方が可愛いよ」と云いだしたので驚いた。ペットショップを覗いて犬にときめく初老の男性なんて、消費者金融の宣伝じゃあるまいし、と思ったが、そろそろ孫が欲しくなる年頃の男性の目に犬が可愛く映るのは、納得がいかない事はない。この会話の前に、潰れたテーマパークで飼われていて衰弱した犬の話を持ち出し、ああいうところから譲ってもらうとなると、ペットショップよりは幾らか安価で済むのだろうか、という話題を持ち出していた。これはちょっとあやしい、ひょっとしてお父さんたら、と母に密告しておいた。その後母と、飼っていて逃げ出した文鳥が顔を真黒にして戻ってきた話や、突然やってきた喋るオウム(「雨ですよ」とか何とか)を一時期飼っていた、という話をした。

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今日の師匠は、下ろしたての感のある、太めの黒白ボーダーのカットソーをお召しだった(ご自分の趣味かどうかは、私的な事は聞かないので知らない)。襟足が短いので、白いうなじがもろに見える。やたらカットソーがぴっちりとフィットする類の上に、黒と白の縞の効果も加わる事で、筋肉とその他の肉の付き具合がまる分かりだったが、そこまで観察する気はないので他の事に集中す。近頃、男性の襟足観察というものもよくやっている。我ながら変かもしれない。単純にどういう形でカットされてるのか気になるだけなのだが。偏愛、とか色のついた感情で以ってでは全く無くて、美しさと妙味というだけの観点で以って。
良いと思う服を良いと思って着ている人は、他人から見てもまあ良い、と感じられるものだという事が不思議でならない。服で以って強くなるのも一つの方法、アイデンティティを確立する方法だと、嶽本野ばらの著作等を読むと分かる。
指揮者や芸術家は、どんな格好をしていても映えるのはなぜなのだろう。技と雰囲気の所為だろうか。羨ましい。
アンサンブルは相変わらず難しい。ひとつひとつ理解して合わしていくしかないのだろう。

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連休中の街は幸せそうなカップルで溢れている。出来れば物陰には目をやりたくない。混雑しているスーパーで、折角手をつないでいるカップルを離れ離れにしてしまわざるを得なかった自分が、ひどく可哀相になった。
幸せそうに見えるが、全員が全員幸せとは限らないのだな、と小説の読みすぎの者のような考えを抱いていた。そこでまた観察が始まる訳だが、香水の匂いに中てられて睡眠に逃げ込んでしまった。
昨日はカップルが多く、今日は子ども連れが多かった。

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楽団仲間の男性に、愛想無いのよ私、と云ったら笑われた。時々関西人の笑いが分からなくなる。勿論笑ってくれて構わない、笑う以外に対応方法はないような事を云っている。
今後の進路について、自分の気持ちと両親の気持ち、見通しの間で悩んでいる事を、同じ歳で大学院生の仲間が話してくれた。こちらもまだ、数ヶ月後の事さえ定まらぬ状況にいて、同じように不安定な気持ちでいる。十月、十一月、って本当に嫌な時期よね、と云うと同感らしい顔をされた。年の暮れも間近に迫りつつあるが、何も結論が出ずに焦っている。
目は口以上にものを云う。