そら飛ぶ秋刀魚

uopus2006-10-15

秋の夕暮れは素晴しい。夏の宵とはまた違った良さがある。そらの色と高さ、空気が良い。歌に詠みたくなる気持ちも理解出来る。
秋の夕方に身を置いていると、食いしん坊は栗御飯が食べたくなる。毎年祖母が作ってくるのを期待しているが、今年は叔父から送られていた古代米が幅を利かせていて、栗御飯という変り種の存在は忘れられている模様である。
どんぐりと傘を拾って帰ろうかどうしようか迷ったものの、虫が出てきて家族に嫌がられるといけないので、止めた。しゃがんで落ち葉をがさごそしていたものだから、周囲にいた人に不審がられた。子どもぢゃあるまいし。

                          • -

はた、と昼に気がついて、図書館に行き、調べものをする。ひたすらメモとコピーをしていると、一生を事務仕事に捧げても案外苦にならない、とも思う(ただし、成長は望めない、という問題点が残る)。
夕飯の食卓に昇った刺身の鮭が、やけに赤かった。どうしてこんなに赤いの、と誰かに問いたい。機械の構造や自然界の構造等は、理系のひとに訊けば大抵信用出来そうな言葉が返ってきて、いつも感動する。どうしてあたまに入っているのだろう、あんな事が。飛行機の胴体部分の丸みと細さが秋刀魚に似ている気がして、飛行機について考える時はいつも秋刀魚を思い浮かべてしまうの、と云うと苦笑された。後々ふたりの頭の上を飛行機が飛んでいった時、あまり似てなかったね、と云うと、どれかというと飛魚ぢゃない、という返答で何とか話が繋がっていった。
種無し葡萄はなぜ種有りより美味しくないのだろうね、と母と議論した。種をつくろうとする事で甘くなるのじゃない、というのが、持論であるが根拠は皆無で説得力がない。水を極量少なくすると甘いトマトが出来る様に、苦労すると美味しくなるのはないか、と考えるのだが真実は如何に。

                • -

はてなダイアリーで日記を書き出して丸二年が経ち、文章に癖が定着し始めた様に感じる。そろそろ漢字と平仮名の使い分けを決定せねば、と思うのだが、なかなか整理する時間がない。誰かの真似になってしまうのも怖い。良い遣い方をする書き手は多く存在するから、気を抜くと知らず知らずのうちに影響を受けてしまうだろう。

              • -

早稲田文学」のフリーペーパー版を図書館で入手する。名前は聞いた事があったが、手に取ったのは初めてで、手始めに表紙から続くけったいな小説一篇を、久しぶりという出来心で購入したスナック菓子をかじりながら読んだ。おやじ顔で蛸脚の生き物を保護したかと思えば、最終的に、・・・という話で、早稲田文学賞は一体どんな作品に授与されるのか、分かるようで分からなくなった。今時「健全」な思想によって倦厭されそうな方向性の文章が寄せられていて、なかなか刺激的で貴重で面白い。

                        • -

やはり夢の中でも眠くなる。

                            • -

以下、夢を見て起きたての頭で考えて書き留めた事を転載しておく。楽器と自分に関する事で、たまりにたまった毒と行き詰まりの種が噴出した格好になった。
夢に現役時代ライバル意識というか兎に角比較対象であった人が出てきた。楽器は殆ど同じ時期に始めたのにも関わらず、音楽的にも技巧的にもずっと上を行く人で、どれだけむきになって練習してもついに彼女を上回る事は出来なかった。何せ彼女もいくら他人から見て弾けていようが、自分で謙虚に練習を重ねていく人で、今までも他の楽器に同じだけ情熱を注いできたと同時に音楽性と精神を身につけてきた彼女に追いつこうとなると、一日中練習しても足りないだろう。大学生の時は彼女を追い越す事を念頭に、できる限り練習はした。が、私が進学して彼女はしっかり社会人になり、圧倒的に私の方が練習時間はあるはずだし、師匠について習う事で、これで何とか追いつけるかしらん、と気持ちの横着をしたのが間違いだった。人は楽になると甘えだす。 きっと彼女は、習いにいけてきっとうまくなるであろう私を少しは羨んではいる(そんな気がする)、が会社勤めは練習時間がなかなか取れない分だけ集中的に練習を頑張っているだろう。それに引き換えこちらは、師匠にも時間にも甘えている。師匠もいるし時間もあるのにお粗末な練習でただ上手くなる事を夢見ている。そんな夢は叶うはずない。
夢の内容は、師匠と彼女は気が合う様子で話し込んでいて(性格良し、社交というより頭の回転と反応の良さで話の出来る、情熱溢れるしっかり者なのだ彼女は)、楽器もなかなかだと褒められている。その後私のレッスンに移る。彼女は隣で何か派手で難しいものを弾き続けている。私はといえば、簡単な楽譜が一小節も弾けずまた情けなくなるが、師匠は優しく何度も弾き直しに付き合って下さる。その隣には更にひとが、楽譜を持ってやってきて座ったものだから、うるさいわぁ、集中できんやろ、と自分自身の苛立ちも含めてひとに向かって怒鳴ってしまった。 怒鳴る事はないのに、とひとが云う。楽譜は師匠によって閉じられる。先生すみませんこんな事…と云うと、今日はどうしちゃったの、何か悪い事云った、と心配顔の師匠。その隣で例の彼女は清々と弾き続けている、難しいなあと云いながらこちらを全く気にせずに。
今の私は甘えている。師匠と時間に甘えている。全然一生懸命になっていない。師匠は優しい。ひとも優しい。貴女は強い、弱いところを覆う事が出来る程に。
昨日久々に彼女の顔を見て、自分のあらゆる情けなさで萎縮してしまった。一緒に過ごした頃と違い、今の私の事は決して好かれはしないだろう。