秋が虚しい.

先日読んだ太宰治「嘘」の表紙を見つめていた。黄ばんだ紙の空白に、嘘、という一字が浮かんでいる。ひどく寂しそうにも、潔くも、美しくも醜くも見える。ひょっとして、嘘、という気になって(自身の存在やら生活について)、自分でも真っ白なところに、嘘、と一字書き入れてみた。
どうしよう。ひょっとして、嘘。

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猫でも人でも、青い瞳で見られると、その視線でどこまで見られているのか、或いは果たして見えているのか、という疑問が浮かぶと同時に自分が透き通っていく様な気が起こる。実際透き通っているのは、瞳の色なのだけれども。

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孤独な作業をしていると、誰かといる事に生活上の意義を感じるようになる。喫茶店に落ち着いて、注文したものを、美味しい、と云って頷く時や、何かぽつぽつと話でもする時、無言でてくてく歩いていく時を、途方もなく求めてしまう。
とても美味しい柚子ソーダにひとを引き合わせた事が、今日の意義だった。
バッハの無伴奏チェロ組曲のうち、第一番のプレリュードを弾いてもらった。終わりに近づくにつれて、そらに昇っていくような音の様が感動的なので、毎回感動すると同時に安らかに満足する。マンドリンの仲間のチェロの方は(マンドリンをそのまま大きくした格好)、官能的な音で鳴くヴィオロンチェロよりも未完成でもくもく(木の)という音がする。第三番の、一番とは逆に、何かが降誕するかの様なフレーズも堪らない。

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ふっと湧いた感情や感動は、すぐに消えてしまう。その日中であっても書き逃す事が多いのを、いつも悔やんでいる。手帖を取り出してさっと書き出す、という癖をつけると、思考が文章化されそう(半分以上そうなってきている)でそれはそれで不自然であり危険であるから、そういう事は今のところする予定がない。生活に支障をきたしてまで文章を書くのは、そういう事を生業にしてからで良いと思っている。この日記に容量限度が存在するとしたら、そろそろ本にでもして整理せねば。過去の大事な記事が消えていないといいのだが。

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古都は最近、老舗鞄屋の暖簾わけ騒動で沸いている。「いけず」の街でも、商売道徳、というものが存在するらしい。遺書が二通なんて、小説みたいな話の真実は如何に、と問いたくもなるが、神のみぞ知る。