where are you from?

陽の光がすっかり秋めいている。夏の激しく眩い光とは違い、どこか落ち葉の色が混じったかのような色を感じる。確実に冬に近づいている。大学構内の木々はここぞと云うかの如く、物凄い勢いで葉を散らしている。円陣を組んで何かの打ち合わせをしている一群の上に、滝のように降り積もっていく。「帽子」をかぶった団栗が落ちていて、やはり幼い日の癖で鞄に入れかけたが、虫の心配をして止めた。

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引退した部に用事があったので久しぶりにボックス街へ行き、後輩を拾ってひとと一緒に食事をしに出かける。美味しく平らげた後の皿はさびしい。
クレーム・ブリュレのキャラメリゼを美しく割って食べるには、コツを身につける必要がある気がしていて、注意深くスプーンで割る。店によって薄く仕上がっているものと、分厚くしっかり乗っかっているものがあり、今日食べた分は分厚くてスプーンの背でこつこつやっても割れる気配がなかった。多少手加減を加えながら今度はスプーンの先でつつくと、きれいに割れてくれた。美味、であった。
話をしながらストローの袋なりレシートなりをいじる癖がある。いじっていても許してくれると確認が取れた人の前でしか、しないけれども。失礼だという事は分かっている。ひとから例のストローの袋を奪って縦に千切り、端までいって引き返し、というのをやっていると、ちょっとしたオブジェみたいなのが出来てひとり満足した、呆れるふたりを尻目に見つつ。

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大学で誰かが大事に面倒をみているらしい、やたらと艶やかできれいな猫が二匹、暗がりで砂利の上を嗅ぎ回っていた。何があるのか知らない。ちょっと近づいていき、観察していると、行き成り尻尾が上を向いた。何だ、と驚いていた瞬間、尾の下のところから勢いよく、長い軌跡を描いて「水」が放出され、思わずこちらが逃げ腰になった。人前でお粗相とは、少々お行儀が悪いと思う。
短い靴下を履いたような、足先とお腹だけが真っ白の黒猫、と白と黒の斑猫は恐らく兄弟であろう。動くと鈴の音がした。

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帰宅すると古書店に注文していた『定本 種田山頭火句集』(弥生書房 昭和46年)が届いていた。久々に、山頭火の放浪の旅をあれこれ想像しながら読む。

おちついて死ねさうな草枯れるる
(死ぬることは生れることよりもむつかしいと、老来しみじみ感じないではゐられない。)
--「一人一草」

小説の本には無い、句集や歌集だからこそ生じる、紙面上の空白、それに自ずと伴った一文字ずつの存在感がたまらなく好きだ。以前好きだった人は、句ばかり並んでいる本は、どうして読めば良いのか分からない、と云って読みたがらなかった事を思い出した。

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映画「DEATH NOTE(前編)」を観る。贔屓目に見てしまう藤原竜也は、予想を裏切らなかったし、そのほかのキャストも豪華で見応えがあった。
「正義」という玩具を人間に与えて喜ぶ死神の話、と云い換えて良いと思う。「正義」という言葉を掲げて行動する人こそ、正義(と書くにもやはり語弊があるが)とは程遠いところに居るだろう。悪い事をしている、と思った誰かを懲らしめる事で、自分及び自分の考えを正当化しているとしか思えない。誰だって、自分が考える事を良かれと思って暮らしている、全知全能の神でもない限りそうせざるを得ない。それならば「正義」という退屈凌ぎの玩具等に依存せずに、自分の頭で考えて自分で生きていった方が、幾分穏やかな世界になるのではなかろうか。
以上のような事を、読者に考えさすように仕向ける漫画なのかもしれない。すべては漫画である。肝心なのは横着せずに自分の頭で考えて生きていく事だから、沸騰した頭は睡眠で冷ます事にして一旦忘れるのが良い。
月と書いてライトと読む主人公(映画上の)はともかく、Lこと竜崎は少年漫画の登場人物らしくて懐かしかった。角砂糖を六つぼちゃぼちゃと落とした紅茶を棒付き飴で撹拌する光景等、超絶甘党でジャンキーな生活ぶり。しかしドラマや映画に出て来る天才達は、いとも簡単に警視庁のデータベースにハッキングするが、そんなに簡単に出来るものなのか、という印象と興味を与えかねないだろうから、警視庁や公安はそろそろ何か文句を云ったらどうなのだ。

人のものを勝手に奪ってはいけない。人の話は聞け。子どもを育てる事になったらば、まずこの二つを教えたい。