where are you goin’?

「太陽」という映画を観に行く。敗戦決定から玉音放送までの昭和天皇の生活を描いた映画である。静謐さと、天皇役のイッセー尾形の演技が際立つ映画、と批評等に書いてあったが、観てみると画面の中の「そのお方」しか見た事がないが多分物凄く似ている。佐野史郎の侍従、桃井かおりの皇后、ロバード・ドーソンのマッカーサー、どの役も質の高い演技で充実していたのにも関わらず、イッセー尾形(の口元)に目が釘付けになるとはどうした事だろう。それだけ一人芝居的で、そういう風に受け取らざるを得ない映画(筋、音、風景、色調、画面づくりすべてを含め)だった。誰かによって発せられる言葉一言一言、五感で捉えた「映画」の何かすべてがに意味がある、と感じる。口癖の「あっ、そう」や、退避壕で始終聞こえるラヂヲか無線のぷちぷちという雑音さえ。
外国人がEmperor Hirohitoをどう描くのか、興味はあるが期待はしていなかった。しかし、天皇の私生活や、日本が廃墟と化した当時の思い等を知るきっかけは他にはなく、その点で観ておくべき映画だと思っていた。期待はそこそこ外れはしなかった、不勉強だから事の事実性は分からないが。
「人間だが人間ではない」という一人の真実孤独な姿が、心に刻み込まれて終わった。ちょっと美しすぎる気配があっていけないが、しかしこの酷い孤独にしくしくと痛んだ。
「私は、誰にも、愛されて、いない。皇后と我が息子達以外には。」
「皆々を思うゆえに、私はこの戦争を早く止める事が出来なかった。」
DVD化する日を今から待ち望む。
ロストロポービッチの奏でるバッハのチェロ組曲第五番が、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、」という玉音放送の記憶(勿論ドキュメンタリーか何かで聞いた、録音である)と共に我が頭の中を流れていった。

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他のお客と対応が悪い方に違う男性店員に、少々苛立つ。気のせいか被害妄想、という事にしたいのだけれども。

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大学に行ってしっかり作業する予定が、倒れそうに眠くなった為に、大学の最寄り駅に着いたところで家に引き返す事にしてしまった。近頃六時間きっかりで醒め、そのまま起きだすのだが、そうしていると丁度二時半から三時頃にかけて凄まじい眠気に襲われて困る。午睡、なんて呑気な時間の使い方はしたくないが、眠らなければクルマに轢かれるか、線路に落っこちるか、道で倒れて医務室に運ばれるだろう。今後は小さな枕でも研究室に置いておくか。
帰宅後は夜まで寝ていた。疲れは前日とったつもりだったのだが、出そうと思えばいくらでも出て来るものらしい。怠惰な午睡であった。