何処かへ行くもの.

大学の付属図書館の入り口付近に、艶々した毛並みの白黒猫が数匹いて、ある程度近づいても逃げない。購買部から買ってきたラムネの袋に目は釘付けになっている。面白いからひらひらと動かしてみると、物欲しげな顔をしたので、あえてそこで無視をして去る。ああ、という顔に、日頃愛想が悪いお返しよ、としてやったり気分を楽しんだ。数時間後に外で楽器を弾いていると、黒猫が傍を抜けていった。追い駆けてみると、檸檬色の目でこちらをぎっと睨み、長く一声発した後堂々とした足取りで去っていった。呪われたのか、または先程のいけずのお返しだろうか。何だか恐ろしく不気味に思えて、暫く怯えた。帰り道には、「猫村さん」にそっくりの猫が歩いていたので、猫村さん、と声をかけると、振り向いてくれた。買い物か何かがあるらしく、足早に去っていった。タイムサービスだろうか。

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食事中に次の食事の事を考えている有様で、本当に摂食を司る器官がどうにかなってしまった様である。空腹でもないのに、買ってしまったから、とチョコレートクリーム入りのパンやら黒胡椒がけのポテトチップスを無理して食べる。バスに乗れば、雰囲気から判断するに美味しいものを出していそうな店を見つけようと、通りをじいっと見張る。見つかれば、途中下車せむ勢いである。誠に恐ろしい。そして鏡を覗き込めば、吹き出物を発見した。
研究室に行けば、他の人の欲望の塊が籠に山盛りになっている。見ないようにして、インスタントコーヒーの瓶に手を伸ばす。

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ボックス街を歩いていると、引退した部の元同輩に出くわした。仕事帰りで、大学研究室に用事があったから、との事で、スーツを着ている。国家公務員に見えないのは、シャープな眼鏡と坊主頭の所為だろうか。ひなびた秘密組織の諜報員如く身形を、暫しの会話の題材として楽しんだ。彼なりに仕事着も楽しんでいる様子、自分もお洒落の妄想がしたくなったので、駅近辺の書店で雑誌を買った。

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研究室で「お世話」になっているノートPCの「V」のキーが浮いてきている。キーの上方を押すと、ぱち、と下方が持ち上がり、下方を押すと、ぱく、と上方が持ち上がる。どうしようもないので、キーの真ん中部分をぐっと押し込んでタイプする。Vをぐいぐいやりながら、これ程キーが軽くなかった時代を思い出していた。
我が母校の高校には、タイプライター同好会、というタイプライターで名刺や紙ものの作品を作る内容の同好会があり、真黒でつるつるとしたタイプライターが数台置いてあるのを見かけた事がある。気にはなっていたものの、入会する機会を失い(同じ要領で、結局どの部にも入部し損ねた。腰が重く一歩踏み出す足も鈍くさい)、文化祭で名刺を一枚作ってもらう事が唯一の接触で終わってしまった。今ほどタイポグラフィーや活字が注目されていなかった時代だった様に思うが、一人の乙女は当時少なからず時めいたであろうマシーンが、未だあの高校では呑気に動いていた。
残念な事に、作ってもらった名刺はどこかへ行ってしまった。

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人に運命というものが備わっているのならば、いずれどこかへ行くものにも、どこかへ行く運命というものが備わっているのだろうか。

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他の大学に行く時、生徒の身形を観察する事が一つの楽しみになる。その大学でまかり通っているお金の使い方や生活の有様が分かる点は、黙々と読書をしている以上に楽しく思える現実である。