ペンギンに檻は似合わない.

鴎外のマカロン―近代文学喫茶洋菓子御馳走帖』『波 (角川文庫)』を読みついでいる。前者は知識として楽しいが、時々引用されている文の旧仮名遣いと漢字が読めない。解釈が素人臭い(失礼)から変に親近感を覚える。レポートに似ている。後者は、研究室の同期がこの作品について論文を書くらしく、発表を聞いて興味が湧き即注文したのが、先日届いた。手に負えないくらい、と同期は云う。なるほど、詩的で美しすぎるこの作品を、まともに解釈する事は困難を極めそうである。そういえば『ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)』を先日買ったのだった。秋の夜長に海外小説、という棚が出来ていて、まあねえ、と通過するだけに留めたくせに、後日別の書店で買ってしまった。ヴァージニア・ウルフは、良かれ、と思って購入するが、幾らも読まないうちに、本の山に埋もれていく。『オーランドー (ちくま文庫)』等も、これ程面白い作品はなかなかない、と確信があるにも関わらず。

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先週に引き続き、論文の発表を専門の授業でする事になった。専門の授業は、教授の厚意により、他の大学で何年も研究を積んできた学生(と云っても、60代か70代の方々なのだが。死ぬまで勉強する、という情熱をお持ちであり、頭が下がる)も参加しているから、先週とは違い、質疑応答を含めて二時間程かかった。実質的にほんの一年前から、今現在研究している分野に移ってきた自分は、全くもって論文の本題に据えている課題に太刀打ち出来ていない事を、悟らされた。暗黙の了解や、分野内の定義や風潮なんて知る由もない、と文句を云えば終わりだが、知る事を怠っていた事の方が真実だろう、という事で自分以外の誰も責めようが無い。
お先真っ暗である。こうなれば、諦めて一旦線路を折りたたまねばなるまい。研究とは、こうも孤独なものなのか。

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吉松隆、という作曲家のCD「優しき玩具?吉松隆ギター作品集」と楽譜を師匠から借りる。福田進一氏のギターは生で聴いた事がある。濁りや誤魔化しのない音楽の良さを知った。
「ペンギン公園の午後」という変てこな曲が気に入った。武装したペンギンが大群をなして、公園をぐるぐる回っている、というイメージが湧く。