何も云わないで.

uopus2006-11-05

雑誌『装苑』十二月号(アクセサリーと紙の特集有り)の付録を「組み立てる」。くちなしのコサージュ、かわいくなるようにと思っていればかわいく出来ます、と書かれていたが、かわいくならなかったので、きっと熱意が足りなかったのだろう。

                  • -

庭に猫が寄ってくるのは困る、と両親は猫避けの薬品を庭にまいたそうだが、定位置で昼寝をしに来る猫は鼻が利かなくなっているのか、ちっとも効果がない。
以前は厳しい目をしていたが、近頃は穏やかで、にゃあん、と云ってやると、にゃ、と答えてくれ、こちらを有頂天にさせる。何云ってるの、というところだろうけれども。母に報告すると、お友達になっては困るよ、と云われた。私や母がけしかけてもちっとも逃げないが、父がしっしっと云うと逃げる、というのは、猫も支配階級意識を持っているのだろう。

                      • -

「魚」が鍵なのだ、と夢の中で唱え続けていた。なのに家族と一人の見知らぬ黒人と入った先で食べたのは、肉料理で、なぜ、と夢の中で混乱していた。全体的に水色がかった夢だったのは、ジーンズを洗わねばならない、と念じていた所為かもしれない。そういえば昨日は、小さな亀が夢の中で這っていた気がする。
もぬけのからで過ごす。辛うじて芯として持っていたものが、すっかり逃げ出してしまったらしい。今日やった事は、家族とは逃げないで過ごす事、洗濯、部屋の掃除、睡眠と食事、である。論文を仕上げ、楽器を弾き、将来の事も考え、真っ当な日常生活を送る、という使命がある以上、幾らこころが空っぽでも動いて力を作っていく必要はあるし、最低限度の焦りはいつも抱いていなければならない。そしてライフワークとも云うべき書きものをせねばならない。

              • -

手洗いで洗濯をする。何も考えず、押して流して絞って、というのを繰り返すのが、修行の様で気分が良い。最後に洗濯竿に吊るして皺を伸ばし、お終い、という時に、そら模様を確かめる。清清しい行為である。
新品のジーンズを洗うと(洗いたくないが汚れるものは仕方ない)大量の藍色の水が出て、更に、爪の先と楽器を弾く所為でささくれた指先の皮が藍色に染まった。洗剤の人工的な香も、暫く鼻の周りを漂っていた。

                        • -

今季では初めて、家族と鍋を囲んだ。いつもは大抵おでんから始まるが、今年は水炊きであった。まだ晩秋とあって、素材は薄っぺらい味がする。ぐっと美味しく感じられる季節が来るのが待ち遠しい。私達姉弟は葛切りが好き、という事になっていて、わんさかと盛られた。もちもちと食べる。
最後に、付けだれのポン酢を大根おろしと鍋のだし汁で薄めて飲むのが、暖まって美味しく、我が家の定番となっている。ちょっとしたお楽しみである。雑炊はやらない。

                • -

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)』をめくりながら、眠ってしまった。こういう作家に影響されてしまう。「緑と青」という作品等、つまり、散文を超えているもの、はずっと前から好きだった。