窪んだ球体との付き合い.

絶好の読書日和だ、と起きぬけに、寝台の中の身体が呟いた。睡眠と読書以外する力がない、そういう体調の日であるらしかった。食事をしに一度台所に下りるが、納豆にするかお茶漬けにするか、梅干が食べたい、と考えているうちに、世界がぐらぐらと揺らいでまた薄暗くなってきたので、寝台に引き返してしまった。
昨日の本の続きを読み終え暫く眠った後、PC作業ではなく山田稔のほかの作品を探しに図書館に行ってしまう、「論文執筆途上」者は私をおいて他にはそうそういるものではなかろう。途中105円のお菓子が75円で売られているスーパーに寄って、液体でない方のラムネ(ラムネ菓子、と書けば良いのだろうか。好物なのだ)を二袋買い、図書館では書庫にある分まで山田氏の本を引っ張り出してきてもらった他、魅力的に思えた本を数冊、ぼろぼろだが頑丈な鞄に詰め込んで帰る。
ラムネ菓子をぽりぽり(飴等でもつい途中で噛み砕いてしまう)、時々無音で食べながら、『本の話 絵の話』を読み進めるも、読書の仕方と読んだ本からの影響され方が素晴しいと感じられすぎて、参る。私は駄目だ、というお得意の脱力時間がやってきてしまったので、辺りが暗くなるまで眠る事にしてした。
山本容子の銅版画を見る事で、絵画に対していちいち、はっという反応を示す感覚が開いたのは、いつで、どんな絵を見た時だろう、というのが思い出せないでもどかしい。きっかけになった絵は忘れてしまったが、一番最初に見た彼女の絵は、中学の時誕生日に父から買ってもらった『TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)』で、それから忘れかけた頃合に何度も見かけるようになったのだった。最近では、インスタントコーヒーのテレヴィコマーシャルで、作家共々見かけたのを覚えている。この本では、文学作家一人につき挿画一枚とコメント少々、という頁と、他本と絵に関するインタヴューが載せられている。絵と文により、この作家の芸術観が垣間見る事が出来ると同時に、読書案内か感想共有にもなる充実した一冊で、こういう本に出会える運だけは自分にあるのだ、という自信がついた。
江国香織の棚も何となく覗いて『思いわずらうことなく愉しく生きよ』も借り、二十ページばかり読み進めたものの、気分が乗らなくなり途中で止めてしまった。恋愛や結婚や人生についての現代小説を貪り読みたい時もある一方で、全く必要ない時もあるが、本は一向に文句を云う気配を見せずにじぃっと本棚で待っていてくれるので、愛せずにはいられない。
現代人気作家の本棚のご機嫌を伺いにいった。図書館では時々お世話になる。石田衣良のコーナーは相変わらずすっからかん、つまり、貸し出し中で本がなかった。一冊だけ、ビニール製の装丁で美人の写真が目を引く『東京DOLL』が残っていたので手に取りめくりながら、借りて行くかどうか迷っていると、「石田衣良」と書かれたプラスチックの仕切り用プレートが上から落ちてきて、左手の親指にぶつかり、バウンドして更に床に落ちた。残り一冊を退かしたが為に、支えを失って落ちたのだ。血が滲んでいるのを見つめているうちに、その本を借りる気が失せたので、プレートと一緒に本棚にゆっくり慎重に収めて立ち去る。
石田衣良に攻撃されたか何か云われた様な気になった事、と、血が滲んでそれが赤く皮膚はひりひりと痛む事が、眠りこけていた「考える事」と「現実にいる事」を何とか呼びさました。落ちてしまった井戸の口から誰かがこちらに、おーいおーい、と呼びかけているなあ、という、危険だが諦めの混じった呑気さで以って乗り切る。
立冬らしく冷え込み、風も冷たく、ニットを着て出たのに、しまった上着を着てくれば良かった、と予想外の後悔をした一日であった。

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夕食後は、先日壊れたのに懲りずに、父が会社から貰ってきた日本酒を一缶飲んでしまった。良くもなく悪くもない気分、やはり肴がないと日本酒は感慨が無い気がする。