貧乏学生の、やっとの事.

本とノラは見ない一日を過ごした。

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早朝に自宅を出る時や、昼食の買出しに外に出た時等は、冷たい雨が風と共が、無防備な頬をぴたぴたと叩く程の悪天候だったが、夕方近くは光が濡れた地を照らし、「寒い気配」がどこかに行ってしまった。よって、傘を忘れたので取りに行く、と仲間に告げると、傘ぁ(傘なんて持ってきたの)、と不審な顔をされた。彼らは今朝の雨の存在を知らないらしかった。

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楽団の練習に出掛ける。何度も同じ事を注意される事に、自己嫌悪に陥らざるを得ない。他の奏者の耳を気にして、びくつく。時に自分が他人の音に苛立ちを感じるように。「この楽団にいても良いのだろうか」と疑う事なしに何とかやっていける、という考えは甘かった。来年以降はぐっと団員が減ると聞いているから、尚更、背負った役目は大きいはずなのに、斯様に役立たずでは自主的に去りたくなるのも時間の問題かもしれない。再び楽器を投げ出したくなる。

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就職先決定と誕生日が一緒にやってきたひとのお祝いに、予約を入れておいたパスタ屋に行く。食べ放題と飲み放題ですぐに「もと」の取れそうな値段設定であった為、味に期待はしていなかったが、自慢の生パスタは、もちもちとしていて値段の割りに美味しく戴いた。ふたりで食べ放題、というのは、何種類も食べる事はお腹の都合上叶わないので、気分はあまり満たされない、という事を結果的に学習する。 緑色に染まったパスタが見たくて、いつもジェノヴァ風を注文してしまう。
狭い店内には、大学生の団体が一組入っていて、口々に注文を店員に告げていく。料理があっという間に無くなっていく様や、見るからに薄そうな色とりどりのカクテル類が何本も並ぶお盆が懐かしく、横目でちらちら観察する。男性達の方がお酒に弱いらしく、赤くなる者や、眠たそうにしながら徐々に女性に寄りかかっていく者あり。顔を赤くしてふらふらしているくせに、ボーリング行こうさ、と大きな声を出す青年に、憮然と、良いよ、と答える女の子達がまた可愛い。
他の客は、と云えば、女性四人でくったりとソファーにもたれながら、食後の満足感と気だるさの中で歓談の花を咲かしている組や、デキャンタを脇に置きワイングラスを傾けるご機嫌そうな男女、友達同士らしい組等、概ね活気のある雰囲気が漂っていた。店員だけが、忙しさの余り悲愴な顔で立ち回っていた。日曜だというのに大変だ、給料は良いのだろうか、明日も仕事なのだろうか、ちゃんと家に帰るのだろうか、翌朝はどんな顔をして何を食べて出掛けていくのだろうか、どんな人が好きでどんな人が嫌いなのだろうか、そういう誰かのストーリーみたいなものの想像に興じる癖は、私を無言にさせる。
ゆっくりしているうちに最終電車を逃してしまい、電車がある駅に向かう為にタクシーを捕まえる事になる。ふたり共持ち合わせが少なく、かちっと音を立てて上がる料金のメーターに、息を呑む。最後の時は、お金と無事の帰宅への懸念で無言のまま過ぎていった。どうなる事やら気が気でなかったものの、ぎりぎり持ち合わせが足り、無事自宅に帰り着いた。残り千円が入ったがま口を握りしめ、意を決して最寄り駅からタクシーに乗り込み、940円の表示が変わらないうちに自宅近くで止めてもらう。
後々貧乏学生時代の笑い話になろう出来事だが、生きるか死ぬかの様な大問題だったのだ、実際は。確かに楽しかったような気もするが、お互いに情けない印象を残した宴であった。どうしてこうも、行き当たりばったりなのだ。