an old ballet.

ノラは今日も不在、気に入りの場所らしい室外機の上には、ノラの毛色と同じ色の落ち葉が二枚乗っていた。実は落ち葉だったのかしら、とぎょっとした。ノラやノラや。徐々に冷え込みが厳しくなってきたので、身体を寄せ合う仲間を持たないひとり身のノラが心配である。
夜の冷え込みに耐えかねて、先日祖母から引き取ったセーターを着込む。捨てるのは勿体ないから、着ない、と云われると、どうしても断る事が出来ない。「勿体無いお化け」や妖怪が頭を過ぎる。ものによっては肌に触れると痒くなる材質のものがあるから、余程の寒さでない限り着たくはないのだが、手近に手頃なものがなかったので、ちくちくするのを我慢して被った。その後居間で作業をしていると、父が、お父さん(彼は自分の事を、お父さん、と云う)のお下がり着てるの、と云って通り抜けて行った。どうやら祖母がくれたセーターは、父が着ていたものらしい。着丈は長めだが、袖丈は丁度良く、PC作業でも邪魔にならないし手首までしっかり温かいので重宝しそうなものだ。
祖母は以前、父のセーターを解いて弟のセーターに編みなおした事がある。別の機会に、父が小学生で給食を食べている白黒写真を目にした折、弟のセーターと同じ色合いのセーターを父が着ているのに気がついて、あっと叫んだ。セーターは、親子二代位ゆうに暖め続けてくれる代物なのだから、成る程、早々にお払い箱にしてしまうには気が引ける。

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赤の他人の顔や姿をまじまじと見つめる事は、許されていない気がして、そして実際許されていないので、近頃人を観察するにも遠目でしか人の顔を見ない。よって、見た風景を頭から引っ張り出してきた時、そこに写り込んでいる人には、頭部がない。その事を最近不気味に、またつまらなく感じている。話をする時はよくよく目を見てしまうので、その人の瞳の色や透明さ、写しているものの記憶はしっかり残る。それでも顔の全体的な造作は、あまり残らない。人をじっと見てはいけません、と刷り込んだ誰かを少し恨む。

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ネットで、古いレコードの録音を聴く。ざあざあという音すら心地良い。異国の言葉の歌謡曲やら、古ぶるしく外れた音のクラシック等。蓄音機から流れてくる亡き主人の声(His master's voice)に耳を傾ける、ビクター犬ニッパーが愛らしい。
曲が終わると、しゅるしゅると空回る音がする。

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コーマルタン界隈 (1981年)』読了す。こういう文章は逆立ちしても書けまい(比喩である)。
日常を文章にするという行為をした途端、フィクション又はノンフィクション、小説又はエッセイ、という区別は無用になっている気がする。文章に表現した事が、たとえその文章の筋が創作であったとしても、現実の場合もあれば、現実に起こった事を書き連ねたからと云ってその文章が現実とは限らない場合もある。結局のところ、書き手は文章によって何を伝えたいか表現したいか、読み手はその文章から何を読み取るか、が問題であって、現実かどうかなんて大して重要ではないのだ。事細かな情景描写の中から、作者のどんなこころを受け取るか、という課題がある事に、彼の作品を読む事で強く実感した。
自分の書くものには何が足りないのだろう、そして、この人の文章をもっと読みたい、と思わされる文章には、何があるのだろう。課題が漠然とし過ぎていて、具体的にどう修練を積んでいけば良いものか見えずに不安なのは、この書きものの作業だけではない。

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先日失くした楽譜は、無事に見つかった。コピー機近くの「忘れ物入れ」ではなくて、なぜかコピー用紙のストックの上に鎮座していた。一週間近くもあんな、風が吹けば棚の隙間に入り込んで消えてしまいそうな場所にあり、そして今日発見出来たなんて、信じられない。由緒正しき師匠の楽譜に謝る。