寒い夜の頬杖.

幸せな王子
ネット上で声をかけた人から、本がお好きならよい童話を教えて下さい、とレスポンス有り。読書の分野でも一番手薄なところを攻められ、さあ困ったと少ない「ストック」を探る。咄嗟に浮かんだのは、『小川未明童話集 (新潮文庫)』である。
米(コメ)育ち、米糠臭い日本昔話育ちの者にとって、珠玉の童話集に違いない。これを聖夜や寒い夜に、蝋燭を灯して深々と読み進めるのはどうだろうか。
童話、と云えば、メルヒェン、という言葉も浮かばなくは無いが、これもまた童話とは違い、又、児童文学、という括りとの絡みもよく分からず、案外、童話とはどういうものなのかよく知らない。メルヒェンはひたすら怖いイメージがある。ドイツの深淵さと厳しさを感じる。そして、メルヒェンや日本の昔話には、登場人物の性格は固定されている事や、「なぜ」という問いは無効である事が、ストーリーや伝えたい事に奥深さを与える、という独特の性質があり、興味深い。
帰宅途中に立ち寄った図書館で、小川未明他の作品が収録されている文学全集を手に取り、「赤い蝋燭と人魚」に、息継ぎを忘れて没頭する。湧き出すしっとりと濡れた哀しみに、頬杖をつきたくなる。「野ばら」に行く前に、時間の制約を思い出して惜しみつつ本を閉じた。
その他、『ゲド戦記』で話題になったアーシュラ・K.ル・グウィン著『空飛び猫 (講談社文庫)』も、童話として挙げても良いような気になり、外国文学の棚に移動して手に取る。羽根が生えている猫と生えていない猫が、何の障壁もなく交流している事に、なぜ、と問いたくなるが、やはりその問いは意味を成さないだろう。
贈り物に誰か、『幸せな王子』をくれないか、と期待している。

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Organic Plastic Music」を図書館から借り出す。orange pekoeは初めて聴く。いつか、と思っていたものと、ここぞという時に出会えるのが嬉しい。カンバラクニエのジャケットにぴったり嵌った雰囲気と歌声、世の中には、良い組み合わせ、というものが存在するのだ、とこういう機会に実感させられる。高い感受性と芯の強さの両方を備えている存在に、自分がいかに妥協に満ちた生活を送っているか、という事を思い知らされた。首をかくかく動かしながら聴く。Organic Plastic Music
吉田篤弘を二冊見つけたので、迷いなく引っこ抜いてカウンターに運ぶ。早速『78(ナナハチ)』を読み始める。丁度ネット上で78回転のレコードを掘り出して聴いていたところで、これも丁度良い出会いと云って良い。レコードや音楽にまつわる短篇を以前、書き始めて途中のまま放置してある事を思い出し、頭を抱える。この謎の作り話の先が、どうしても続かない。
『78』で「The Third Man(第三の男)」のテーマが引き合いに出された瞬間、頭の中はチター(だったと思う)の音で満ちた。

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家庭菜園の畦の間に座り込む猫有り。番をしているかの様な「格好」というよりも「態度」であるのが、何とも勝手で猫らしい。ノラはとんと不在である。祈っても帰ってこず、忘れかけたか諦めかけた(健康だとはとても思えない姿をしている)時にひょっこりやって来て、庭のガーベラのプランターの上に座り込む奴には、もう期待なんてするものか。