雨は涙の伏線かと思った.

声を出さずに泣く事が多い。気がついて、珍しく、うっうう、と云ってみると、泣いているのだ、哀しいのだ、という気が本格的になる。こっちの方が、ひょっとするとすっきりするのかもしれない。それでも家では、心配されると困るので、聞分け良く、大人しく泣いておくのだ。

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昼から学部主催の公開シンポジウム手伝い、夜は引退した部の定期演奏会に出掛ける。
受付よりも設営の手伝いに回りたい、という臆病の虫をはね除け、笑顔で人を迎える。やってみれば、色々な顔と表情がある事に気づき、飽きる事がなく、時間は澱みなく流れていった。京都の東寺が、都市のランドマーク的存在として洛中洛外図に描かれるようになったのは近世である、という指摘が興味深く感じられた。よって、建設当初は皆の目に異様に写った京都タワーも、徐々に街に溶け込み、受け入れられつつあるのではないか、という結論に、研究メンバーは達した。ヨーロッパ人は高いタワーを建造するのが好きな様で、それにかぶれた日本人も主要都市にはタワーを建てて喜んでいる。最近よく取り沙汰されている東京タワーは、確かに美しく感じられる時もあり(特に濡れて、ぼやけた照明で包まれている姿等)、又大阪の通天閣も、余所者にとってはあれを観て大阪である事を実感出来るくらいの名物である。がしかし、何だかタワーというものは異様で、その変な主張の強さに時々茫然としてしまう。何の象徴、という深層心理の知識を振りかざすまでもなく。
ただ、日本において、タワーと呼ばれる大体半数は、単なる電波塔なのだが。
使えない受付役を先輩とこなし、片付け後は早々解散、スーツ姿でコンサートホールに向かう。
我が子の様な後輩達が、それぞれとびきりの顔で演奏していた。首席奏者が私の楽器を気に入って暫く使ってくれていて、その聴き慣れた音が、随分嬉しそうに鳴っていた(後々持ち換えられた彼女自身の楽器の方が、音は良かったのが悔しい)。よく泣き時に電話をかけてきたり、会う度に抱きついてきた後輩の勇姿を目にし、胸中に熱いものを感じる。あの子達とも、もっと一緒に演奏がしたかった。
こうして毎年後輩達を観に行き、ひとつひとつ年を重ねていくのだ。私の前の席に座っている夫婦らしき男女が、カメラを何度か瞬かせていた。デジカメの画面には、息子らしい奏者が写っている。こういう夫婦も良いな、とふと思った。子どもを養う事への希望、というよりも、自分達の子どもをふたり一緒に見守る夫婦への憧れが芽生えた。
打ち上げの鍋に一時間程加わり、終電を逃さぬようにその場を去る。なんで鍋なんだ、乾杯なんて面倒な事を長々とする訳が分からない、という現代っ子が一人、目の前でごねていた。鍋の素晴しさを知らないなんて、しかし何故に鍋が良いのかなんて上手く説く自信はない。

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人に対して無駄に感謝はしないひとに、いい加減もの申したくなり、メールで一方的に攻撃する。深夜だった所為か、送信しているうちにどんどん云い分が濃厚になっていく。終いにはひとりで自己嫌悪に陥り、ごめん、という言葉を送信して泣き寝入りした。
涙を流す事は、体力と精神力共に消耗する。たとえ瞼が腫れても、涙は延々と出続ける事を、いつも不思議に感ずる。
些細な事に感謝出来ず、何に対しても「当たり前」で、うまく行ってる事のすべては自分の力によるのだと思い込んでいる人、とは決してうまく共同生活を送っていく事は出来ない、等と思いつめた。ひとがそういう人ではない事を祈る。感謝される為に何かしら働きかけているのではない。嬉しそうな顔を見たいから何かしら頑張ってみるのだ。感謝されなくとも文句は云わないが、当たり前と思ってもらっては、その「当たり前」を与える事が出来なくなった時私は不要扱いになってしまうだろう。それこそを恐れているのだ、という結局は自分勝手な考えに、自己嫌悪は連綿と続いていく。

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久々に先輩に会うと、就職はどうなった、と訊かれるのが心苦しい。必ず今年度中に決めてやる。