映画の続き.

或る私立大学の図書館に、紹介状を持って、論文を大量に閲覧、複写しに出掛ける。三冊の英語論文からコピーして持ち帰る頁数を挙げるという作業に、時間は二時間かかり、お金は九百円かかった。こんな直前に論文を集めても、目を通している時間は明らかにないが、序論と参考文献リスト項目の水増しには役立つ事だろう。論理記号が並んでいる厄介な論文は、記号の意図を理解するだけでも大変そうだ。と云いつつも、実はそういう「謎解き」みたいなのは大好きなのだが。ヴィトゲンシュタインの字面に魅せられた昨年から、とうとう『論理哲学論考 (岩波文庫)』を読まないで来てしまった。哲学をやると思考が論理的になり、思考力がつく、と好きだった人が云っていた事を、哲学、という語を見聞きする度にきまって思い出す。随分その記憶も薄らいでいる一方で、痛みや諸々の感覚だけが強く胸を刺すようになってきた。
コピー代で贅沢な昼食並にお金を費やしてしまったので、ドーナツはアルバイト代が入るまで「おあずけ」となった。空腹が喧しいので、先日の演奏会に楽器を貸したお礼としていただいた、リーフパイを、矢継ぎ早に二枚、口に放り込んでしのぐ。小袋の中で礼儀正しく「きをつけ」をし、一切欠ける事なく完璧な姿のそのパイを、「葉脈」に沿って割るのは何だか申し訳なく思われたが、煎餅でもおかきでも何でもそうして食べるのが慣例なので、大して気にせず小さくしてしまった。

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ノラは相変わらず不在である。昨夜、にゃあ、という声を布団の中で聞いた気がしたが、幻聴だろう。
野良猫コロニーには、大抵二匹いて、くっついている。無表情な上に態度がでかい。今日は、いつも猫達が寝ている台に、食堂の岡持ちが置いてあり、コロニーの住民は他の場所に移動せざるを得なかった様だった。かわりに、呑気に瞳の青い猫だけが、塀の上のゆっくり散歩していた。写真を撮ろうとすると、臨戦体勢になったので、諦めて大人しく去ってやった。ノラに猫パンチを食らわされてから、すっかり猫には腰が低くなっている。

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先日、就職活動で立ち寄った青山と表参道、尊敬する文筆家で次期「暮しの手帖」編集長である松浦弥太郎氏の書店を夢に見た。東京は青山の人を観察した、風通しと気持ちの良い洒落たカフェも(スーツで決めた中年伊達男が本を読んでいた)。もう一度東京に行きたくて仕方がなくなった。東京暮らしの方が向いているのかもしれない、とあの時思ったのは、ひとりの静かな時間を自分のペースで守り、気ままに暮らしていく事が出来そうな気がしたからだった。そして別に、人がいない訳ではないから、さびしくなれば、街に出れば良いのだ、と思っていた。いくら人が周りにいようが、自分の気持ちや暮らし方によってはいつだって孤独になり得る、と知った今となっては、東京は自分にとって適さない街かもしれない、と感じている。
それでも、尊敬する人には会いに行きたい。そして評判の、雨に濡れた東京タワーを見たい。出来れば、小さな品の良いホテルや何かから。

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正社員になれずに、派遣や契約社員で生活苦に陥り、そこから這い上がる事の出来ない社会構造、という報道に寒くなる。そんな生活はもうすぐそばまで来ている気がする。縁があれば決まる、と思いたいが、私に限ってそんな事はない。学歴なんてここまで来てしまえば塵である。さて、考えなければ。

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地元の小さな映画館に、邦画特集と銘打たれて「かもめ食堂」がかかった(かかった、というのは、祖母の「辞書」から拝借した言葉で、お気に入りの「お下がり」扱いで私の「辞書」に追加された)。レディースデーとやらに、朝からひとりで観に行こう。人がいない、眠たげな時間の映画館が好きだ。喜劇なんかは、人が大勢いて、誰かがけらけらと笑ったりしていると楽しいから、映画によるのかもしれない。地元の映画館に限って、レイトショーを一度体験しておきたい。夜に映画を観るのは、一体どんな感じなのか、実は未だ知らない。映画に乗っ取られた頭で風呂に入り、映画を布団の中まで持ち込めば、夢の中で映画の続きを観る事が出来るだろうか。
近頃、楽器を練習せねば、と思って寝つくと、きまって、練習中の曲が夢の中で流れる。

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ああ、そうかね (日本エッセイスト・クラブ賞受賞)』を読もうと鞄に入れて持ち出したものの、草臥れていて今日は開ける事が出来なかった。