カレル・チャペックの自画像.

上る必要のない歩道橋に上り、上りきろうかという辺りで気づく。引き返すのが勿体無かったのか、見栄を張ったのか、何でもなかったかの様に、天辺から続く階段から下りた。その間、自分の後ろにいた人が、下の平坦な道を何食わぬ顔で歩いて行ったのが見えた。重力と遊ぶ如くの、我が人生哉。

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図書館に本を返しに行き、ついでに本を買いに行く、という本だらけの一日であった。
通常出回っている文庫本くらい、新刊で買ってやりたい。そう思っているので、古本チェーン店で買う点数は通常少ない。が、カードのポイントがたまって200円分の割引券を貰う程、今日はついつい買いすぎてしまった。これは明らかに何かを「解消」する為の行為としか思えない。早すぎる誕生日祝い、という事にしておくか。
安っぽい黄色と汗臭さの蔓延する古本チェーン店は、決して居心地の良い場所ではないが、何も余計な事を考えず済むので、時間を忘れて本の背に目を走らせる。軽薄な背景音楽には苛立つが、本への欲望が不快な何もかもを帳消しにする。少しでも手頃なものを、と躍起になる自分への羞恥心に、黄色過ぎる黄色や漫画棚に染み付いた汗臭さはおあつらえ向きで、自嘲的な笑みさえこぼれた。
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi Original)』に、「世の中には『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人と読んでいない人という、二種類の人間が存在する」と書いてあった。自分は、といえば、未だ読んだ事もなく、読むまでの「レール」に乗った事さえない人間である。未だドストエフスキーに行き着く「レール」には靄がかかっている。村上春樹という名の飛行機から行き成り「ドストエフスキー駅」にそらから到着する方法もあるし、「レールロード・トリップ」はこの際割愛する事にしても良い。
古本チェーン店の海外文学棚に行き着いた。しかし肝心の「ド」(ドストエフスキーの)の辺りにはぽっかりと隙間が出来ていて、どうやら一足遅かったらしい。
Фёдор Михайлович Достоевский で、フョードル・ミハイロビッチドストエフスキーと読むのだそうだが、まるで暗号の様に見える。こういう「へんてこ」が一番興味を引くのだが、語学は暫く結構。顔文字のパーツ-- (ё_ё)(゜д゜) --にしか見えない。
傑作を読むのに、どの翻訳が良いものか、買って読むにも迷うところだ。少し調査をしてから購入する事にする。出来れば、上下巻二冊で済む版が良い、場所と持ち運びの都合上。

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明日は父の誕生日なので、今日の家族食事会では、鮨とケーキでお祝いをした。還暦還暦、と母が騒ぐから、本当か、と驚き問えば、「約」還暦よ何云ってんの、と返された。
買い物と御馳走でお腹一杯の一日となり、こんな贅沢はもう一年位要らない、という程気持ち(「買い物中枢」)とお腹が張っている。