私の荷物、まだ届かないかしら.

野良猫コロニー付近で見かけるミルクティー色の洋猫は、どうも飼い猫らしい事が判明した。赤い首輪を付けている。身体つきからして飼い猫の様相を呈している、と云えども、しょっちゅう近所を散歩していたり、あまり毛艶も愛想も良くないので、飼い猫である事を疑っていた。人慣れはしているようだが、逃げ足がはやい。薄い青色の瞳は見慣れぬ所為で、見つめられても視線の在りかがよく分からない。真黒なアスファルトや住宅街の景色には映えないのが勿体無い。
ノラは相変わらず姿を見せない。

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地元の映画館は、大会社が配給するよく名の通った映画しかかからない、と思っていたところ、突然「かもめ食堂」がやって来て不意を突かれた。講義の無い日なので、大学に行く前に観る事にした。
一科白と一動作毎に沁みる映画であった。時折、他の観客の、くすくす、ぶぶっ、という笑い声が聞こえた。自分もつられてにやにやする。スクリーンの後ろから、映画を観る人達の顔を監視出来たら、なんと面白い事だろうか。人の顔を真正面からじっくり見る機会、というのはなかなか無い。
高橋ヨーコの写真が目一杯載った、トランク型のパンフレットを忘れずに買って映画館を出た。
大学に向かうまでに、「ソウルフード」とは何ぞや、と考える。初めて聞いた単語で、しかも映画の主人公曰く、日本人のそれはおにぎり、だと。
ソウルフード」とは元々、アメリカ南部の黒人(アフリカンアメリカン)達独特の料理の事だそうで、今では「食べると心と身体が元気になる」料理、「お袋の味」を指す様である。確かに、握り飯は「お袋の味」代表格の肉じゃがよりも、日本における「ソウルフード」歴は長そうだ。食べると心と身体が元気になる、そういう事を念頭に入れた食事を、久しくしていない事に気がついた。お腹が空いたから何か食べる、という生活をしている。では、元気になりそうな食べ物、と無理矢理考えてみる。そうして出て来た私の「ソウルフード」は・・・、御飯に納豆、であった。

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雨の日、軒下で本を広げていると、すぐに雨雫が、頁の上にぽちぽちと跡を残すから油断ならない。鞄から出して一分も経たないうちに、紙という紙は湿気って柔になってしまう。ああ仕様が無いなあ、と手で伸ばしにかかるも、あまりに優しい手触りに、苛立つ事を止めてしまう。
雨には濡れるが良い。