ドナドナツアー.

車窓を流れる雨粒の線が美しくて、風景よりもそれに夢中になった。鋭い線だったのが、次第に縁が鈍くなっていき、丸くなり、散って消えていった。

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何かを失いたくなって、いつかの為にまとめておいた「売りに出したい本」の山を切り崩しているところへ、ひとから昼食の誘いが来た。
「売りに出したい」はずだったのに、結局紙袋に詰めたのは半分程、二十冊少々に留まった。いざとなると失う事に尻ごみする。それでも「山」は半分になったので良しとして、えいやっと紙袋を持って外に出た。
ひととラーメン屋に入り、汁無し坦々麺とやら(平たく太めの麺が、肉味噌と唐辛子のこってりしたソースにしっかり絡められている。モヤシ一掴みと共に食べて丁度良い辛味。これを完食すると、やはりラーメンは汁があった方が良いな、と思うが、一度味わうとまた汁無しを食べたくなってしまうのだ、ついつい)を食べて、古本チェーン店に紙袋一つ分を売りに行く。
500円も貰えないだろう、と踏んでいたので、880円、と聞いた時には耳を疑った。さすがチェーン店である。古書店ではこうも行くまい。実用書も一応引き取ってもらえるのが助かる。
お金を貰っても嬉しくない時があるのだ、と知る。売ろうと思っていたにしろ、どの本も大事にしていた本で、自室という懐でずっと温めていた本達を、あんな殺風景なところに二束三文で追いやってしまって。
本の行く末を案じた。良い人に巡り逢えよ、たとえ105円の値が付けられても。
割引券で、『カラマーゾフの兄弟』を全集で(翻訳の良し悪しはもうどうでも良いとして)、その他『妖人奇人館 (河出文庫)』を、貰った気分で買う。

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失った部分が、から、である事を主張する。から、になれば、また何かを詰め込む事が出来る。
繰り返しと見るか、新生と見るか。

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街角で奏でられていた曲が、何という曲か思い出せずに、ひとと二人で唸る。掃除の時間の音楽だった、という記憶が一致しているのが面白い。お互いの小学校で同じ音源が使われていたのかもしれない。兎も角、掃除の時間、という印象からか、ピアノの和音の柱と弦楽器の流れを耳にすると、銀色のブリキのバケツと黒く汚れた水、自分でタオルを縫って拵えた雑巾、木の床と重たい机が、何処からかぼろぼろと落ちてきて曲の波に流されていく。
後々調べると、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、第一楽章だった。
給食の時間は、ボッケリーニのメヌエットで、中学校朝の礼拝の時間は、ベートーヴェンの「田園」だったと記憶している。
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ひとが、「この曲(Wham! の“Last Christmas”が流れていた)、今年は一体何回聴く事になるんだろう」と恨めしそうに呟いた。ジョン・レノンのクリスマスソングは好きだよ、と答える。holy, holy...*2

*1:音源検索はこちらから・・・MIDI  演奏・映像付き

*2:lを一つ付け足してhollyにすると、柊、になるとは、知らなかった。